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信州戸倉上山田温泉 [新潟県外への旅]

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信州上田へ仕事で出かけました。
シベリアからの寒気団が居座り続け、新潟県内は雪続きの毎日です。
鉄道の運休や、運行遅延、高速道路も通行止め、規制が当たり前のようになっています。
そんな中で、新幹線だけは順調に動いています。

新幹線は、雪の湯沢を過ぎて新潟県を後にします。

トンネルを抜けると青い空、乾いた大地の関東平野が広がっていました。
高崎駅で長野新幹線を待つ間、青い空を眺めながら、
「不公平だ、足して2で割れ、税金を安くしろ。」と同行者がぼやいていました。

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軽井沢を過ぎると、新幹線の車窓からは、浅間山が望めます。
標高2568mの活火山、天明3年(1783年)大噴火では死者2000名に及ぶ大被害を出しています。
頂上付近から上がる噴煙が見られます。
なだらかな稜線が裾野につながる姿を眺めていると、ゆったりした気持ちになります。

ところで、裾野の「軽井沢」の地名の由来について吉田東伍は以下のように解説しています。
司馬遼太郎の「街道をゆく」から孫引きしてみます。
「諸方の同名の地名から察するに、軽井沢とは地高く、土地痩せ、『沢』を称するとはいえ、水利よくなく、水田耕作に適しないという点で共通している。
『涸れ沢(かれさわ)が訛ったのではないか』というのは、吉田東伍の説である。」(街道をゆく「信州佐久平みち」)
列車は、浅間山とその裾野に広がる傾斜地を窓の右手に映し出しながら上田を目指します。

吉田東伍:新潟県出身、明治大正期の歴史地理学者、新聞記者を経て、早稲田大学教授、「大日本地名辞書」の著書がある。

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上田での仕事を終え、宿泊地の戸倉上山田温泉には、しなの鉄道で移動します。
しなの鉄道戸倉駅前の風景です。
駅前通りの看板が絵に描いたような温泉町の印象を与えてくれます。
(写真は到着翌日の朝、到着時は真っ暗でした。)

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宿の窓からは、山の上にネオンサインが見えました。
昭和初期に設置されたネオンサインで、この温泉のシンボルになっています。
なるほど、戸倉上山田[いい気分(温泉)]の字が右から左へ並んでいます。

このネオンサインのある山は、戦国時代のお城の跡です。
今は荒砥城跡として連郭式と呼ばれる城郭が復元整備されています。

長野盆地には信玄・謙信の争いで有名な川中島があります。
戸倉は長野盆地の南端に当たり、千曲川の流れる狭隘部を経て、上田盆地に繋がります。
つまり、部屋と部屋を繋ぐ細い廊下のような入口に位置しています。
この地にお城が置かれた戦略上の意味が地形を見ることで実感できました。

荒砥城は村上氏の一族のお城でありましたが、幾度かの闘いの後、武田氏の支配するところとなります。
次に川中島の闘いを経て、上杉氏の支配に変わります。
しかしその後、上杉氏に背いた荒砥城は、上杉軍の攻められ落城、廃城となってしまいます。
めまぐるしく支配者が変わった経過が、善光寺平(長野盆地)と上田平(上田盆地)を繋ぐ要地であったことを示しています。

温泉街の広がる場所が、かつて戦場であったかもしれないと想像することはなかなか困難な作業でした。
特に酔っぱらいの頭では・・・。



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