富士屋のクリームパン [新潟の食べ物]
ここで一番気に入っているのは、これです。
クリームパンです。
そして味以外にも、もう一つ特徴があるのです。
だんご屋放浪記(7)市川屋(新潟市中央区) [新潟の食べ物]
東堀通5番町にある「市川屋」です。
創業は弘化4年といいます。
西暦でいえば1847年、この年の3月には善光寺地震が発生しています。
「信州から越後にかけて大地震、善光寺は本堂傾き、如来開帳中のため近所の旅宿で圧死したもの数千、余震長く続き惨害大」と当時の記録にあります。
市川屋はそんな年の創業です。
市川屋の初代は江戸生まれ、新潟の市川家に婿に入り、江戸で食べなれた串団子を作って売り出したのが始まりだそうです。
確かに、店舗看板には赤い文字で「創業弘化4年」の表示があります。
古さでは、笹川餅屋の上を行く店が出てきました。
だんご屋放浪記(6)古町伊勢屋(新潟市中央区) [新潟の食べ物]
低気圧の影響で日本海側は大雪の予報が続いていますが、新潟市内は積雪がありません。
風が強く、十分に寒いのではありますが。
白山神社はもうすっかり初詣の準備が整っていました。
ところで、この近くにも団子屋さんがあったような気がします。
そう、そう上古町の伊勢屋さんです。
だんご屋放浪記(5)笹川餅屋(新潟市中央区) [新潟の食べ物]
そして「通り」と「通り」を繋ぐ東西の道を「小路」と言います。
そうした小路のひとつ、鍛冶小路のシンボル的存在が笹川餅屋です。
新潟市が発行する市内散策ガイド「新潟の町・小路めぐり」の鍛冶小路の項に描かれた「笹川餅屋」の店舗風景です。
ガイドブックには「餅は餅屋に寺町に」と意味不明のフレーズが載っています。
だんご屋放浪記(4)米希舎(新潟市中央区) [新潟の食べ物]
新潟市中央区鐙(あぶみ)の「米希舎」(まいきや)の店舗です。
本店は新潟市北区葛塚にあります。
創業は平成19年と言いますから、だんご屋業界では新参ではあります。
店のネーミングからして今風であります。
それはともかく、21世紀のこの時代に、あえて餅屋を始めようとするその意気を買ってみました。
中央区鐙のこの店は、ごく最近のオープンです。
創業数年にして、支店を出店とは、積極経営ですね。
だんご屋放浪記(3)さわ山(新潟市中央区) [新潟の食べ物]
「さわ山」は大正年間の創業というそうですから、老舗といっていいでしょう。
場所は多少不便なところにあります。
新潟市中央区夕栄町に所在します。
夕栄町は、かつて遊郭のあった本町通り14番町の近くです。
多くの場合、遊郭は風紀上の理由から町はずれにつくられたものです。
ということから、この店のローケーションを想像してみてください。
市の中心部を起点とすると不便な立地にもかかわらず、次から次へとお客さんが来ていました。
それも車で乗り付けて買って行く人たちが多いのです。
期待が高まる光景ではありませんか。
だんご屋放浪記(2)村山屋(新潟市中央区) [新潟の食べ物]
「餅菓子村山屋」との看板が掲げられています。
図書館からの帰りに初めて立ち寄りました。
「村山屋」とはなんと素気ない名前なのでしょう。
そういえば、「江口だんご」も「笹川餅屋」もネーミングに工夫はありませんね。
桔梗屋河内、金沢丹後、亀屋陸奥など江戸、京の御菓子司の名前の重々しさと比較すると、軽いです。
御用菓子司は、江戸期、中御門家の支配を受け、金7両を支払って、受領名を授かったそうです。
「亀屋陸奥大掾」などと名乗ったそうです。
これらの御菓子司の扱うお菓子とは違う世界のお菓子に興味が惹かれています。
同じ町内に住む人々の日常の欲求を満たす商いをしていれば、活計(たつき)が成り立つ、屋号などなんでもいい。
そんな意識に支えられた屋号の無頓着さが好ましく感じられます。
中御門家:江戸期、菓子商人は京都の中御門家の支配を受け、江戸の浅草西福寺に出張し、通称名で営業する菓子屋を探索して、呼び出し、受領名を取得させたといいます。もちろんタダではありません。金7両で大掾の称号が与えられました。大掾は正七位に相当します。
本郷のお菓子やさん壺屋総本店はかつて「壺屋播磨大掾藤原武房」と称したそうです。(食いねぇ「あんこ菓子」:仲野欣子著:雄鶏社刊より)
だんご屋放浪記(1)江口だんご(長岡) [新潟の食べ物]
普通のどら焼きとはイメージが違います。
江戸時代、東寺からの依頼で当主が考案したお菓子です。
皮を鉄板の代わりに銅鑼を使って焼いたことから「どら焼き」との名前になったそうです。
弘法大師の命日の前後3日間しか販売されないというお菓子なので、いままで食べるチャンスがありませんでした。
ところが、先日新潟伊勢丹の京都物産展で、ルールに反して販売していました。
おかげで、初めて食べることができました。
ところで、新潟では笹団子で代表されるようように餅菓子が多く食されるためか、だんご屋さんを多く見かけます。
京都では、お使い物やお祝い事、茶事に使われる上菓子を扱うお店を「菓子匠」「御菓子匠」「お菓子屋はん」、普段に食べる饅頭や餅菓子を扱うお店を「おまんやさん」「おもちやさん」などと使い分けるそうです。
多くのお菓子が大メーカーによって供給される現在はこのような使い分けも日常からかけ離れつつあるようです。
というわけで郷愁を求めて、だんご屋のお菓子を覗きまわってみたいと思います。
題して「だんご屋放浪記」
1回目は長岡の「江口だんご」です。
湯あがり娘 [新潟の食べ物]
「湯あがり娘」・・・なんとなく色っぽい名前ですが、「枝豆」の名前です。
新潟の枝豆といえば、黒崎茶豆が有名です.
6月の下旬から7月初めまでは「早生」、そして今の時期が「湯あがり娘」、「茶豆」は8月に入ってから、9月になると「さかな豆」が出回ります。
枝豆に、こんなにいろいろな品種があるとは知りませんでした。
「いうなよ」というのもあるそうです。
あまりおいしいので、人に「言うなよ」というんだそうです。
夏の夜、仕事が終わって、湯上りに枝豆をつまみながらの、一杯は、「おいしい」ですよね。
・・・というわけで、茹でたての「湯あがり娘」です。
笹川流れの塩で味付けしました。
お酒は越後伝衛門の純米吟醸酒です。
越後味噌 [新潟の食べ物]
新潟市の沼垂は、発酵食品の町と言われます。
越後平野の穀倉地帯を背後に控え、北前船による日本海航路を輸送手段に持ったことが醸造業が盛んになった要因でしょうか。
まずお酒では、以前にこのブログで紹介をした「越の司」の今代司酒造、そして漫画の「おいしんぼ」でも紹介されたこともある越の華酒造がこの地にあります。
そしてお味噌屋さんです。
写真は味噌の蔵元、堀川醸造です。
他に発酵食品としては納豆屋さんもあります。
へたのたったイチゴ [新潟の食べ物]
新潟のイチゴ、越後姫です。
新潟に着任した当初、食べたところ甘くて美味かった、その大粒な姿とともに感激したものです。
しかし、その後あたりはずれもあり、やっぱり普通のイチゴかな、との印象が強くなっていました。
スーパーの売り場で、おじさんとおばさんの会話で知りました。
イチゴの選び方を、
おじさん「イチゴ買おうか」
おばさん「イチゴはへたが立って、三角でないと甘くないから、これはダメ」
たなべのかりん糖 [新潟の食べ物]
新潟県加茂市のお菓子屋さんがつくるかりん糖です。
加茂市は北陸の小京都と言われる町です。
最近、このかりん糖にハマッテいます。
お店の紹介文章に「かりん糖一筋80年。田辺菓子舗は昭和2年の創業以来かりんとうだけを作ってまいりました。」と宣言しているように、強烈な存在感があります。
かりんとうだけで、一家の生計が成り立っているのは冷静に考えると、驚異的なことに思えます。
朱鷺の牛乳 [新潟の食べ物]
古町糀製造所 [新潟の食べ物]
素材にこだわったおにぎりを提供しているそうですが、そこの社長が糀の自然の甘さに魅せられて出来たお店が上古町にあります。
麹は酒はもとより、味噌、醤油などの日本の食文化を象徴する発酵調味料の重要な原料です。
麹菌は穀類などのデンプンを糖化する作用をもっています。
そして麹菌を蒸した米などに繁殖させたものを、麹と呼ぶことはご存知のとおりです。
当然のことながら麹は甘味成分を含むことになります。
麹そのものを飲み物ととして味わってもらおうというのがこの店のコンセプトらしいのです。
この店では麹を米の花、糀と表記して米麹にこだわっているようですね。
前から気になっていたのですが、週4日の営業日でかつ日曜は休みという営業形態のため訪れるチャンスがなかなかありませんでした。
ドンの終焉 [新潟の食べ物]
久しぶりに仕事で東中通りまで出かけました。
古町から新津屋小路を歩いて、東中通りへ向かう途中、キッチンドンの前を通りかかったところ、店舗のドアに「6月30日をもちまして閉店いたしました」の張り紙があるではありませんか。
うかつにも知りませんでした。
その日帰宅後、インターネットで検索すると、閉店を惜しむ記事で一杯でした。
新潟日報で報じられてから、閉店を惜しむ人達で行列ができたそうです。
以前の新潟勤務時代は職場が東中通りにありましたので、キッチンドンは当たり前の存在でした。
昨年再訪し、23年たっても店舗外観も、内装も何も変わっていないことに感激しました。
またひとつ懐かしい店が閉まってしまいました。
新潟「街の洋食屋界」のドンの終焉です。
(写真は昨年12月の撮影です。)