進水式 [新潟市内散策]
そんななか、お昼を食べに出たところ、近所の造船所で進水式直前の船を見かけました。
進水前の満艦飾の船を間近にみるのは初めてのことでした。
ついつい、造船所の正門まで近寄って、カメラを向けてしまいました。
(ちょっと敷地の中に入ってしまったかもしれません)
イオン、新潟県内最古の店舗の閉店 [新潟市内散策]
新潟島から関屋分水を超えると、西区の青山です。
以前の新潟勤務時代は青山に住んでいました。
関屋分水:新潟市内を流れる信濃川の本流から分流し日本海へそそぐ関屋分水は昭和47年に完成した。
新潟市を洪水から守る、新潟港の水深を維持するなどの目的があるそうです。
山本五十六 [新潟市内散策]
年末から微妙に、このブログへのアクセス数が増えているのです。
調べてみると、一つの記事にアクセスが集中していることがわかりました。
2010年5月1日の「長岡市内散歩」の記事です。
検索のキーワードは「長岡 水まんじゅう」「長岡名物水饅頭」「酒饅頭」のようです。
原因が何であろうと考えていて、ようやく気づきました。
万代シティの一角にあるこの建物の中で行われていることと関係がありました。
初詣in新潟 [新潟市内散策]
新潟へ戻りました。
やっぱり、白山神社へ詣でます。
さすが、新潟市の鎮守であるため、元旦を過ぎても参拝者は多いですね。
ところで、新潟県内の神社数は4,780と言います。
この数、多いか、少ないか?
例えば、新潟県人口の4倍以上の東京都には20,000を超える神社があってもおかしくはないですね。
新潟明和事件を歩く(2) [新潟市内散策]
一方奉行所側も鉄砲隊を繰り出します。
坂内小路あたりで両者は衝突します。
奉行所側の鉄砲に、町民側は通りを挟む両屋根から薪、つぶてを投げて対抗します。
ついに奉行所側は敗走していまいます。
その後、群衆は黒装束の者たちの指揮で、密告者などの家屋の打ちこわしをしました。
翌朝までに打ちこわしにあった家屋は十五軒に上りました。
激突現場付近の坂内小路に立って、古町通りを望む光景です。
新潟明和事件を歩く(1) [新潟市内散策]
酒と女(芸妓)と食い物だけが興味の対象ではないことを証明したいので、歴史散策などしてみたいと思います。
歴史で学んだ明和事件は幕府による思想弾圧事件でしたが、新潟の明和騒動も明和事件とよばれます。
市内に散在する明和事件の跡を訪ねてみました。
題して「明和事件を歩く」です。
万代島ウォーク [新潟市内散策]
現在は信濃川の右岸を形成しています。
ここに、佐渡汽船のターミナルと、朱鷺メッセが所在しています。
陽が翳りはじめた午後5時過ぎ、万代島散策に出かけました。
日中は暑いので、早朝か日が落ち始めてしか動きたくありませんね。
土日は、まるで蝙蝠のような生活を送っております。
お盆の夜/西堀通りから古町へ [新潟市内散策]
土曜日の夕方、いつものウォーキングとはコースを変更して、信濃川を渡り、古町方面へ出かけました。
灯しごろの時間なのに家族連れで歩いている人々の多いのに驚きました。
気が付けば、今日は8月13日です。
招霊迎えのお墓詣りの人々ですね。
西堀通りは、お寺が並ぶ寺町でもあります。
お寺の門前には供花を売る店が開き、開け放たれた本堂には煌々と明かりが燈っていました。
北区・豊栄駅界隈(福島潟散策補遺) [新潟市内散策]
福島潟は、JR白新線豊栄駅から歩いて30分程のところにあります。
距離にして約2km程度、たいした距離ではありませんが、暑い時期には結構こたえます。
しかし、途中両側を木立に囲まれた遊歩道が続き、日差しを遮ってくれます。
助かりますね。
江戸時代の街道に松や杉の並木が見られる理由がよくわかりました。
自動車で移動することが当たり前の現代ではなかなか実感できない感覚を味わいました。
オニバス(福島潟散策2) [新潟市内散策]
福島潟はオニバスの北限の自生地でもあります。
オニバスを探して、湖畔を歩きます。
途中、たくさんの蓮の花が咲いているのを見つけました。
蓮の向こうに見えるのが、ビュー福島潟です。
福島潟の自然と歴史を紹介する施設です。
写真の蓮は普通の蓮です、オニバスではありません。・・・・・念のため、申し添えます。
越後平野の原風景をもとめて(福島潟散策1) [新潟市内散策]
亀田郷を歩き、新潟市歴史博物館の展示物を見て、かつての新潟平野の風景は、今私たちが見ているものとは異なっていたと思うようになりました。
(亀田郷については2011年5月7日、新潟市歴史博物館の展示物は5月29日の「水が引かない田」の記事を参照してください。)
そこで越後平野の原風景を求めて北区にある福島潟を訪ねてみました。
潟湖の湖畔に立つビュー福島潟の屋上からの眺めです。
福島潟は環境省の「日本の重要湿地500」にも選ばれているということですが、これでわかります。
新潟平野は湿地の広がる平野だったのですね。
鰻の寝床(小澤家住宅その3) [新潟市内散策]
鶴の遊ぶ庭園から母屋を望みます。
前方の屋根の一部に切れ込みがある建物が母屋です。
手前左手の藤棚のある建物は、隣接する敷地を買い増して、増築した「新座敷」と呼ばれる建物です。
屋根の切れ込み部分はかつての「坪庭」です。
坪庭は、間口が狭く、奥行きが深い町屋建築の採光と通風の工夫です。
京都の町屋建築にも見ることができますね。
かつて秀吉が京都を支配した時代、町屋の間口の広さに対して地子銭(税金)を課しました。
それが間口三間(6メートル)という、京都の町屋の表構えを決定づけたといわれます。
(京町屋づくり千年の知恵:山本茂・祥伝社)
間口を狭く、奥行きを深くすることが節税対策として行われたわけですね。
間口の広さに対して課税することが、近世を通じて全国的に行われたようです。
新潟の町屋も奥行きが深く、鰻の寝床となっています。
ただし間口は京都よりは広く、4間の間口となっています。
京都よりは税金が安かったのでしょうか。
お昼近くとなって、暑くなってきました。
日差しを避けて、屋内に移動します。
再び小澤家住宅を訪ねて(その1) [新潟市内散策]
昨年6月に下町散策で訪れた時は、修復整備中で見ることができませんでした。
整備工事が終わり、先週から公開されていると聞きましたので、再び小澤家を訪問しました。
湊町新潟で回船問屋など手広く行い、新潟三大財閥の斉藤家などに次ぐ豪商と言われた小澤商店の住宅です。
その建物が新潟市に寄贈され保存公開されているのです。
入口には青地に、〇に小の字を染め抜いた暖簾が、翻っています。
柱の先まで腕木を延ばし、桁を長くして、軒先深く造る構造を「せがい造り」と云い、新潟の町屋建築の特徴の一つです。
軒先を丈夫にして積雪に耐える構造だそうです。
道路に庇を出し、その上に二階部分を張り出して造ることを「張り出し二階」といい、これも新潟の町屋建築の特徴です。
白根大凧合戦(その3) [新潟市内散策]
大凧よりは小振りながら、六角形の凧も空に舞います。
巻凧と呼ぶのだそうです。
これでも、畳6帖分の大きさです。
学生時代の下宿の間取りを思い出します。
4畳半を我が砦と思い過ごしましたが、吹けば飛ぶような広さだったのですね。
凧合戦の歴史に触れなければいけませんでしたね。
白根大凧合戦(その1) [新潟市内散策]
6月2日から5日まで、新潟市南区の白根で、大凧合戦をやっているというので、見物に行ってきました。
新潟駅からバスで約60分、国道8号線沿いのバス停で下車し、町並みを抜けて会場へ向かいます。
会場は、中ノ口川です。
写真は、会場へ向かう途中、見かけたポスターです。
いま、まさに橋の欄干の上から、中ノ口川に飛び込もうとする子供達です。
私の故郷郡上八幡でも、夏になると町中を流れる吉田川に架かる新橋の欄干から、川に飛び込む子供達の姿をみることができます。
中ノ口川は、直江兼継が流路を整備したと伝えられる信濃川の支流です。
三条市で信濃川から分流し、新潟市の黒埼付近でまた信濃川と合流する川です。
周辺の農地を潤す用水として利用されています。
流域の住民にとっては生活に根付いた川であることを、この写真で知ることができます。
水の引かない田 [新潟市内散策]
新潟市歴史博物館には、当時の水の引かない田んぼでの収穫作業の情景展示物があります。
それがこれです。
秋の収穫時期の風景です。
腰まで水に漬かりながら稲刈りを行い、刈り取った稲束を船に乗せて運ぶ姿が見られます。
信濃川、阿賀野川の蛇行が残した潟湖があちらこちらに点在するなか、水はけの悪い周辺の低湿地の水田で営まれた農業、それがかつての越後平野の姿です。
今では想像がつきません。
かつての新潟平野の面影を求めて、福島潟など見てみたいと思っていますが、あいにくの天候で、
ところで、この他にも、新潟市歴史博物館には私の気に入った展示物があります。