その特徴というのは、大きさです。
普通サイズのクリームパン(写真右)と、クリームパン大(むかって左)があります。
大のほうを手にすると、ずしっりとした重量を感じます。
よくあるクリームパンは95グラムくらいですが、大をスケールで量ってみると、156グラムありました。
1.5倍以上もあります。
お腹が満足する大きさです。
新潟生活もあとわずか、昔懐かしい味のするこのパンを食べられなくなることは寂しい限りです。
春分の日にもかかわらず、今日は朝から雪が降っています。
昼すぎても止む気配もありません。
会場はすでに大勢の人で一杯です。
「出遅れてはならじ」と、逸る気持ちを抑えつつ、お目当てのブースを回ります。
しかし、人の並みに思う様に前には進めません。
・・・・30分ほどでよい気分なってしまいました。
あおいさんは横顔がいいですね。
振袖さんの時のあおいさんをブログアップしたときの写真も横顔だったような気がします。
髪は島田になって、飾りも鼈甲で落ち着いていますが、多少憂いを含んでうつむき加減の横顔が美しいですね。
あおいさんの説明によると、今、古町芸妓は30名弱といいます。
厳しい御稽古事、勤務時間は夜が多く、イベントは土日が主、なり手が少ないのはわかりますが、寂しいですね。
手元にある「新潟芸妓の世界」(昭和48年刊)という本には、付録として「ふるまち芸妓123人衆」として当時の全芸妓の写真が載っています。
それから40年、是非とも伝統の灯を消してはならないとの想いが強まります。
店内には、いろいろなお菓子が並んでいましたが、迷わず、金鍔を買いもとめます。
小豆の金鍔の他に、白小豆、青えんどう豆の金鍔もあります。
弥彦村の酒、「こしのはくせつ」特別純米酒です。
新潟市内ではなかなか見つけることができなくて、ナジーラから発注してもらいました。
「こしのはくせつ」を作っている弥彦酒造は、社員5人の小さな蔵です。
酒米は越淡麗、仕込水は弥彦山の伏流水を使用しています。
日本酒度+3と辛口ながら、口に含むと米の旨みを感じることができます。
しかもその旨みが舌にすっと溶け込んでゆくようななめらかな味わいです。
飲み始めたら止まりません。
私の好みに合ううまいお酒でした。
今年も、食の陣・当日座へ行って来ました。
今年20回目となる冬の新潟のイベントです。
古町、新潟駅、ピア万代、万代シティ、ふるさと村と会場は5か所ありますが、古町通りの会場へ行きました。
昨年から登場した糸魚川ブラックやきそばのテントです。
昨年は、これが大評判だったようで、今年は、レッド、グリーンと焼きそばのオンパレードになりました。
信州上田へ仕事で出かけました。
シベリアからの寒気団が居座り続け、新潟県内は雪続きの毎日です。
鉄道の運休や、運行遅延、高速道路も通行止め、規制が当たり前のようになっています。
そんな中で、新幹線だけは順調に動いています。
新幹線は、雪の湯沢を過ぎて新潟県を後にします。
トンネルを抜けると青い空、乾いた大地の関東平野が広がっていました。
高崎駅で長野新幹線を待つ間、青い空を眺めながら、
「不公平だ、足して2で割れ、税金を安くしろ。」と同行者がぼやいていました。
長岡の大和屋です。
大和屋は「越の雪」で有名な和菓子屋さんです。
「越の雪」は、松江・風流堂の「山川」、金沢・森八の「長生殿」と並んで日本の三大銘菓のひとつに数えられるお菓子です。
餅米の粉と和三盆を使ったいわゆる落雁ですが、その口溶けの良さが独特のものです。
その由来、歴史についてはお店のホームページにゆずります。
今回は大和屋の上生菓子を食べてみました。
写真は以前に撮影した大和屋の外観です。
今頃は雪の中に埋もれていると思います。
上古町にある和菓子屋、金巻屋です。
この店の前は何度も通り過ぎるのですが、立ち寄ったことはありませんでした。
「かみふるぽっぽ」とか、新潟のおみやげコンクールで金賞をとったという「米万代」などのお店であることは知っていましたが、私の嗜好に合わない気がして、店の前を通り過ぎていました。
今日、気になるお菓子を見つけて、初めて店内に入ったのです。
創業は明治4年とも、5年とも言われますので老舗ですね。(文献により創業年が違っています)
今はなくなってしまいましたが、古町8番町にあった香月堂も創業は明治8年。
金巻屋の初代と、香月堂の初代は同じ菓子屋で修行した兄弟弟子だったそうです。
柾谷小路の丸屋は明治11年の創業です。
明治初期の新潟はお菓子屋さんの創業ラッシュだったようです。
そして、長岡には「酒まんじゅう」の看板を掲げるお店が現存します。
(写真は2010年5月の撮影)
さっそく行ってみました。
創業の串団子は、残念ながら今作っていないと言われてしまいました。
2月からだそうです。
「しょうゆだんご」と「あんだんご」があるそうですが、残念でした。
というわけで、買ってきたのは「草大福」と「青豆大福」です。
包装紙にも「創業弘化4年」と書いてありました。
名古屋の我家から南に向かって歩きます。
外堀通りを超え、桜通りを過ぎて南下を続けますと、お寺が密集する地域に入ります。
江戸時代には法華寺町、禅寺町と呼ばれた地域です。
名古屋城下の南に広がる寺町大須と並んで、城下町の外周部を形成する東の寺町です。
今の中区新栄1丁目、東区東桜2丁目あたりになります。
そんな道筋で見つけたお寺、へちま薬師、東充寺です。
境内のいたるところに「へちま」がぶらさがっていました。
病気治癒祈願に効くそうです。
小錦の奉納絵馬もぶら下がっていました。
本題を外れますので詳細は略しますが、詳しくはこちら。→http://www41.tok2.com/home/kanihei5/aichi-hechima.html
・・・で、そんな寺町の一角、東桜2丁目に「万年堂」がありました。
ここの名物は「おちょぼ」と命名された和三盆を使用したお菓子です。
インターネットでは、万年堂の創業は昭和24年と紹介されています。
小説家の吉川栄治が名古屋の知人に「おちょぼ」を無心したのが昭和25年ことです。
戦争で製造を中止していたが、戦後になっても容易に材料が手に入らないので未だ製造を再開できていないとの万年堂主人の応対があったそうです。
そのエピソードから、その歴史は戦前に遡るかもしれないこと、そして材料に対するこだわりを知ることが出来ます。
その万年堂の包みです。
華やか色調ながら、落ち着きのある包み紙が和菓子屋らしさを感じさせます。
上生菓子を買ってきました。
「岸辺の春」と命名されたお菓子です。
黒糖餡を練り切りの生地で挟んだお菓子です。
練り切りの表面に、梅の花が描かれていました。
じょうよまんじゅうです。
干支と名付けられ、龍の焼印が押してありました。
いずれも上品な味でした。
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