名古屋/大須 [新潟県外への旅]
大須は東京で言えば、浅草と秋葉原とアメ横と、場合によっては巣鴨をひとつにしたような街です。
江戸初期に城下町としての名古屋の防衛拠点として市街の周辺部にいくつかの寺を集めて作られた南寺町が大須の始まりです。
その後元禄時代には寺の境内に芝居小屋がたち、人が集まり門前町が形成されます。
尾張藩士朝日文左衛門の「鸚鵡籠中記」(岩波文庫)には七つ寺の茶屋で袴を脱ぎ着流しで編み笠をかぶり大須観音境内の芝居小屋に潜り込む描写がでてきます。
江戸初期に城下町としての名古屋の防衛拠点として市街の周辺部にいくつかの寺を集めて作られた南寺町が大須の始まりです。
その後元禄時代には寺の境内に芝居小屋がたち、人が集まり門前町が形成されます。
尾張藩士朝日文左衛門の「鸚鵡籠中記」(岩波文庫)には七つ寺の茶屋で袴を脱ぎ着流しで編み笠をかぶり大須観音境内の芝居小屋に潜り込む描写がでてきます。
明治から昭和の初期には名古屋の繁華街として栄えます。
戦後、地下鉄東山線が開通すると繁華街の中心は北に隣接する栄に移ります。
しかし、街の人の努力などにより、近時また人出が見られるようになっています。
写真は納屋橋饅頭のお店ですが、昔ながらの酒饅頭を衣にくるんで揚げた「揚げまん棒」が人気で行列が出来ていました。
これが揚げまん棒です。
外側はアメリカンドックのような味わいです。
中身は酒饅頭です。
このような各お店の工夫と努力が成功しているのでしょうか。
あちこちに行列が出来ている店があり街に元気さを感じました。
団子とたい焼きのお店にも行列が出来ていました。
店先を覗いて驚きました。
養殖物のたい焼きが主流となっている世の中で、ここのは天然物でした。
たい焼きの天然物と養殖物について→ここをクリック
2010-01-03 20:32
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