小澤家住宅 [新潟市内散策]
新潟の下町あたりを散策をしました。
新潟の街は、南の白山神社の近くを上町と呼び、信濃川の下流域を下町といいます。
新潟大火の影響も受けず、古い建物が残っていたりします。
そんな建物のひとつである、上大川前通12番町の小澤家住宅は回船問屋だった建物です。新潟市の町屋の典型として市指定文化財となっている建物です。
今日の下町散歩の目当ての一つでしたが、残念なことに整備工事中で見る事ができませんでした。
今年の12月には工事が終わり、来年の1月から公開されるそうです。
散歩の途中で見つけたお店です。
昔のアイスを売っていました。
もともとは和菓子屋さんだったそうですが、昭和35年からアイスクリンの販売を始めたそうです。
あっさりしていて、カキ氷のようでした。
営業期間は「緑の日から体育の日まで」とガラス戸に貼ってありました。
さきほどのアイスクリン屋さんで、教えていただいたお寺を訪ねました。
長音寺といいます。
総欅造りの本堂は大きくて立派です。
本堂は嘉永6年(1853年)村上藩主から寄進された山の欅でつくられたそうでうす。
本堂には各所に彫り物があり、彫り物もなかなか迫力があります。
名工といわれた村上の有磯周斎の彫刻です。
村上大祭で使われる屋台のうち上町の屋台はこの有磯周斎の彫刻で飾られています。
散歩の途中で買ったお菓子です。
「新潟奉行菓」という名前がついています。
初代新潟奉行川村修就が、長崎からオランダ菓子の製法を入手し、若狭屋に作らせたのが始まりだそうです。
「異国糖」と名づけて売り出されましたが、奉行から「関の戸」と改名せよとの命令が出されました。
川村修就の日記には、鎖国下の日本に「関門を越えて輸入されたお菓子ということで命名した」とあるそうです。
ところが「関の戸」の名前の別のお菓子が商標登録されていることが分かり、「新潟奉行菓」と名前を替えたそうです。
いわれがある名前なのに惜しいことです。
以前は新潟の多くの菓子屋で作られてましたが、いまこの菓子を作っているのはフクヤ菓子舗(東堀前通り11番町)だけだそうです。
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