SSブログ

夏の別邸(その2) [新潟市内散策]

DSCF2240_640.jpg別邸の庭は、4代斎藤喜十郎が大正6年から9年にかけて造ったものです。
当時の費用で25万円、東京の庭師松本幾次郎がその造営にあたったとされています。
庭石の多くは江戸の大名屋敷にあった全国の名石を運んだものと言われています。
江戸の浩養園からも灯篭、庭石などを運んだそうで、池に掛る橋の脇に、「浩養園、お成り橋」と刻んだ石造物もありました。

庭は、池を巡る回遊式庭園で、主屋から池を隔てて、丘を登ると頂上に茶亭があります。
茶亭へ向かう途中の待合からの眺めです。
十三重の層塔は浩養園からのものでしょうか。
竹林の向こうに主屋が望めます。滝の音が近くに聞こえ、涼風が吹き渡ります。

浩養園:隅田川河畔にある老中水野忠成の別荘の庭、のち、佐竹邸、堀田邸となり、明治後札幌麦酒が買い取り、敷地の一部をビール工場とし、庭園をビアガーデンとして利用。現在はアサヒビール本社。私的には、浩養園=ビアガーデンのイメージしかありませんが。

DSCF2246_640.jpg丘を登り振り返ると、どっしりとした印象の主屋が見え、そのかなたに古町のビル街が望めます。
「ああ、ここは新潟市内なんだ。」と思い返し、「改めてなんと贅沢な空間を造ったものだ」と思います。











DSCF2249_640.jpg
茶室の脇の根上がり松です。
もうこのあたりは日本海を望む砂丘になりますので、防砂林として植えられた松の木が庭木にも生かされています。
松の木の根元の砂が風で飛ばされ、根が露出してタコの足のようになっているのだそうです。

茶室の前には重さ13トンの巨石があり、もとは江戸の伊達屋敷にあったものを運んだもので、当時木橋であった万代橋を渡れず、新潟駅から運搬に1ヶ月かかったと伝えられています。



DSCF2275_640.jpg

庭をゆっくり散策できて、街中の贅沢な空間を堪能しました。
門を出た途端、夏の暑い日ざしが戻ってきたように感じました。

写真は門脇の塀の上の獅子です。
「はい、お帰りはあちら」と言っているようです。

 

 

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

夏の別邸ドンの終焉 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。