明和義人祭 [イベント]
明和5年(1768年)9月26日の深夜、下町の寺々で打ち鳴らされる鐘を合図に、日和山に集まった新潟の町民は手に手に得物を携え、町会所、奉行所に押しかけました。
奉行所側は鉄砲で群集を攻撃しますが、町民は礫を投げて応戦し、奉行所側は敗走してしまいます。
新潟明和騒動の始まりです。
この襲撃で、町奉行所に捕えられていた涌井藤四郎が釈放されました。
ことの発端は、不作で米の価格暴騰するなかで、長岡藩が新潟の町に1500両の御用金を課したことでした。
涌井は困窮する町民を代表して藩に納入の延期を申し出ますが、投獄されてしまいます。
奉行所側は鉄砲で群集を攻撃しますが、町民は礫を投げて応戦し、奉行所側は敗走してしまいます。
新潟明和騒動の始まりです。
この襲撃で、町奉行所に捕えられていた涌井藤四郎が釈放されました。
ことの発端は、不作で米の価格暴騰するなかで、長岡藩が新潟の町に1500両の御用金を課したことでした。
涌井は困窮する町民を代表して藩に納入の延期を申し出ますが、投獄されてしまいます。
釈放された涌井を新潟町総代として奉行所の支配を排して、町民自治が実現しました。
町の治安維持はもとより、米の配給、安売りによる物価の安定、借金の利子引き下げなどの政策が実施されたのでした。
新潟町民のコミューンが、パリコミューン(1871年)を遡ること100年前に出現したのです。
やがて長岡藩は事態の巻き返しにとりかかり、騒動から3年後、涌井は藩により斬首獄門とされます。
明和義人祭は、涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛の威徳を偲ぶ祭りです。
行列が上古町の通りを練り歩きます。
涌井藤四郎に扮する作家の火坂雅志、そして藤四郎を慕うお雪には、古町芸妓の紅子さんが扮しています。
上古町の愛宕神社の境内社として、口之神社があります。
千葉の口ノ宮神社に祭られる佐倉宗五郎の分霊をまつる神社です。
千葉の義人の分霊を祭りつつ、密かに涌井藤四郎、岩船屋佐次兵衛の二人を祭った神社です。
普段は、愛宕社の脇でひっそりと建っていますが、今日は桜(佐倉)と「宗」の字の紋を描いた幔幕が張られ、煌々とした明かりに照らされています。
愛宕神社の前の通りで古町芸妓の舞も奉納されます。
毎度お馴染みの春花さんです。
火坂雅志の「新潟樽きぬた」(小学館)は明和義人を扱った小説です。
2010-08-28 08:33
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