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秋はもみじの永観堂 [新潟県外への旅]

DSCF5546_640.jpg「もみじの永観堂」とも言われる京都の禅林寺へ行って来ました。
南禅寺から北へ歩いて5分ほどの山麓に堂塔が連なっています。

古来、紅葉の名所として知られ、古今和歌集にも藤原関雄の「おく山の岩垣もみぢ散りぬべし照る日の光見る時なくて」という歌が収録されています。
今は紅葉の盛り、観光客でいっぱいでした。

ここは、本尊の「みかえり阿弥陀」でも、また与謝野晶子・鉄幹の結ばれる前の訪問地としても知られています。
瀬戸内寂聴は「永観堂という語から、私が直ちに連想するのは、与謝野晶子である。人は紅葉を連想し、また別の人は見返りの阿弥陀仏を連想するのであろう。」と紹介しています。
あなたはどれですか。私の場合は「みかえり阿弥陀」です。
かつて写真でこの阿弥陀仏を見て、いたく感動した覚えがあります。

DSCF5609_640.jpg境内に入ると、紅葉の先の山腹に多宝塔が望めます。
庫裏の大玄関に上がり、回廊で繋がる古方丈、瑞紫殿、御影堂を経て阿弥陀堂へ向かいます。
山を背負うように堂宇がならび、それらを結ぶ回廊は山肌に張り付いて上下します。










DSCF5564_640.jpg

「臥龍廊」と呼ばれる回廊のひとつです。
斜面の湾曲に沿って回廊もカーブして、あたかも龍がうねるようなその姿で名づけられたのでしょうか。

庭園を散策しながら眺める紅葉も良いですが、こうした回廊から眺め下ろす紅葉もまたすばらしいものです。
回廊を曲がる毎に、上下する毎に枝振り、葉の濃淡が変化し味わい深いものがあります。






DSCF5577_640.jpg

回廊の先は、本尊「みかえり阿弥陀仏」が安置される阿弥陀堂です。
極彩色の彩りで飾られた本堂でした。

高々70センチ程度の本尊でしたが、左に首をかしげ、ふりむいて微笑む表情は、こうごうしいと言うよりは、愛らしいというほうが適切です。

言い伝えによれば、禅林寺中興の祖といわれる永観が行道の最中、壇上から阿弥陀仏が降りてこられ永観を先導するように行道を始めた、それに驚いた永観が立ちすくんでいると振りかえられて「永観遅し」と声を掛けられたそうです。
その姿が現在の本尊の形になっているそうです。
かつて写真でこの阿弥陀仏を見たときの私の印象は「ぼくについておいでよ。いいところに連れていってあげるよ」と言ってるなというものでした。
(残念ながら写真撮影禁止でした。)

行道:念仏を唱えながら仏堂や仏像の周囲をめぐること。修行の一形態。

DSCF5621_640.jpg

銀杏の葉が積もる庭園の一角です。
銀杏の黄色、紅葉の赤、そしてまだ色づく前の葉の色の配色がなんともいえません。

与謝野鉄幹は明治33年、大阪の浪速文学会から招かれ歌会に出ています。
そこで晶子は鉄幹と出会います。
それから3ヵ月後の11月5日に鉄幹と晶子、同じく歌会で知り合った山川登美子と三人で永観堂を訪れています。
晶子も登美子も鉄幹に傾倒していましたが、鉄幹はどうも登美子の方に気があったようです。
最終的には、登美子は身を引き郷里に帰ってしまいます。
境内に与謝野晶子の歌がありました。
「秋を三人椎の実投げし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき」
これは三角関係の歌でしょうか。手と手は誰と誰の手でしょうか。

DSCF5597_640.jpg

中腹に聳える多宝塔まで登ってみました。
眼下の永観堂境内です。
更に目を転ずると京都の町並みを眺めることができます。

 


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