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知恩院の鐘 [新潟県外への旅]

DSCF5636_640.jpg永観堂から知恩院へ向かいました。
南禅寺の三門前から西へ向かい瓢亭のある通りを道なりに進むと三条通に出ます。
さらに三条通と交差する神宮道を南進します。
骨董屋などの店先を覗き込みながら歩いて行きますと、道は徐々に上り坂になります。
東山から突出した丘陵部に青蓮院があります。
その先が知恩院です。
写真は途中の青蓮院の佇まいです。

知恩院はわが家の宗旨の総本山ですので、敬意を表して訪問してみる気になりました。

知恩院といえば、除夜の鐘ですね。
大晦日のテレビ中継を見た事があるでしょう。
撞木につながれた子綱をたくさんの僧侶が引き、親綱を持った一人の僧侶が仰向けになって鐘に撞木をぶつけている、あれです。
梵鐘の高さ3.3m、口径2.8m、重量70トン、寛永13年の鋳造の鐘で、日本三大梵鐘のひとつだそうです。
まだ新幹線も無い時代に、この鐘の音をわざわざ聞きに行った作家がいます。
『除夜の鐘を京都に聞きに行って、元日のはとで帰って来た。
京都の鐘のうちでは、やはり知恩院の鐘だということで、知恩院の鐘楼の近くに席を取ってもらった。(中略)知恩院の鐘は近すぎることを感じさせないような、さびたひびきだった。』(川端康成『京都行・湯澤行』)

DSCF5640_640.jpg知恩院の三門の前まで来ました。
巨大な見上げるような三門ですが、それが高い石段の上に建っているためになおさら大きさを感じさせます。
なんと三門に張り巡らされた幔幕には三葉葵の紋が染められています。

そうです、徳川さんの宗旨も浄土宗でした。
ここ知恩院は徳川宗家の菩提寺でもあります。
この三門は秀忠の寄進によるものですが、本堂ほかの伽藍の多くは徳川家康、秀忠、家光の時代に寄進されたものだそうです。
この三門は国宝に指定されています。



DSCF5644_640.jpg

本堂の御影堂です。
これも国宝ですが、来年から10年かけて解体修理されるそうです。
信者4000人を収容できる大きさといいます。
先ほどの三門といい、この御影堂といい、巨大で武張った印象があります。

浅田次郎はエッセイ「知恩院と私」の中で、『これは軍事要塞である。』と想像しています。
『知恩院と隣りの青蓮院は、東山の裾が突出した位置にあるので、射界が広いのである。
これが近代的な砲戦であれば、この陣地ひとつで京都盆地すべてを制圧する結果となる。』
なるほどと思ってしまいますが、事実はどうなのでしょうか。


DSCF5650_640.jpg

方丈に回ると、一転して優雅な庭園があります。
ここの紅葉も見ごろとなっていました。
いわゆる観光寺院ではないためか観光客もなく、落ち着いて散策が出来ました。

この後、雨が降り出したため鐘は見ずじまいでした。






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