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海坂藩を訪ねる2(鶴岡・酒田への旅) [新潟県外への旅]

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丙申堂の玄関です。
鶴岡の豪商風間家の店舗兼住宅です。
風間家は越後の沢海から、この鶴岡へ移住し、有数の商家として栄え、荘内銀行の創立に係わったそうです。
かつては沢海藩の武士でしたが、沢海藩が改易になるととともに、武士を廃業して鶴岡に移住して成功したのですね。

現在の建物は明治29年の丙申の年に建てられた建物だそうです。
その壮大さ、部屋数の多さに驚きます。
掃除機、使っても、一日かがりかも。

そして特徴的な屋根が印象的でした。
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屋根を見て驚きです。
石葺きの屋根と言っていいのでしょうか。
丸い石がびっしりと屋根に乗っています。
その数、約4万個、石置き屋根と云うそうです。
この故か、国の重要文化財に指定されています。

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この家の主人の部屋から、庭を隔てて客間を望む景色です。
庭の樹木が、向こうの部屋を見通しできない様に植わっているそうです。
確かに・・・。

さて、その向こうの客間ですが、藤沢周平原作の映画のロケ場所になっています。(写真、撮り忘れました)
「蝉しぐれ」のクライマックス。
牧助左衛門とお福が二十年余の歳月を隔て再会し、若きころの二人に戻りひとときを過ごした部屋の撮影に使われています。

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藤沢周平の「蝉しぐれ」も、藩内の派閥争いが小説の重要な背景になっていますが、藤沢の小説には海坂藩の派閥抗争がストーリーの展開の背景になっているものが多いように感じます。

実際、モデルになった酒井家庄内藩も派閥争いが多かったようです。
初代忠勝晩年の「酒井長門守一件」と言われるお家騒動。
そして、三方領地替えの騒動の責任をとって隠居した酒井忠器の跡を継いだ酒井忠発時代の「丁卯の大獄」事件など派閥闘争が多発しています。
よく改易にならなっかたのだ、と思います。

写真は、その幕末の派閥抗争の原因者酒井忠発が、文久三年に建てさせた、御穏殿(隠居所)の建物です。


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