城下町高田を歩く(上越への旅) [新潟県内の旅]
高田は日露戦争時に編成された第13師団の駐屯地でありました。
高田城の堀の一部を埋めて駐屯地が造られました。
写真は、第13師団長官舎です。
明治43年、第3代師団長長岡外史の時代に建てられた建物です。
長岡外史中将はレルヒ少佐とともに日本にスキーを伝えた人物として知られています。
白亜のしゃれた建物でした。
長岡中将の次に第13師団長となったのは司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する秋山好古です。
高田は戦災に会っていないので、昔のままの俤を残しています。
歩くのが楽しくなるような町です。
街なかを歩いているとこのような看板を見かけました。
「米国バアレット會社特製」との表記が時代を感じさせます。
ところで、高田の町を特徴づけるものに雁木の続く街並みと寺町の存在があります。
雁木は家の軒先を張り出して、積雪時の人の通行を容易にするための工夫です。
冬場、人が雪を避けて通行をするのはこの軒下です。
そこはあくまでも私有地です。
雁木が連なる町並みです。
その総延長は16キロメートルにもなるということです。
写真の雁木は「落し雁木」と呼ばれる母屋に庇を張り出したタイプです。
これは「造り込み雁木」と言われるタイプです。
雁木の上は物置になっています。
「押し縁下見板張り」の外壁となっている部分が物置ですね。
造り込み雁木は古いタイプで現在はあまり見ることができませんが、この構造を見ると、雁木の通路部分が私有地であることもうなずけます。
写真の建物は江戸末期の建築と推定されています。
そして高田の町を特徴づけるのは寺町の存在です。
城下町は防衛拠点として寺の配置に工夫がされていますが、高田の町はお城の西に町人町が広がり、その中を北国街道が通っています。
町人町のさらに西に60ヶ寺が集まる寺町があります。
寺に兵を込めるスペースと考えると、北国街道を通過する敵をお城の兵と寺に籠もる兵とで挟撃できることになります。
加賀藩は参勤交代の経路として北国街道を使用していたことから幕府が高田に譜代を配置して誰を仮想敵として考えていたかが分かります。
写真はその中でも大きな寺、浄興寺です。
「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」(かんぎゆやくさんじょうどしんしゅうこうぎょうじ)というのが正式名称で略して浄興寺なのだそうです。
新潟県は真宗王国といわれ1000を超える浄土真宗寺院があるそうですが、この寺の開創は親鸞聖人の時代まで遡るそうですから真宗寺院としての古さは格別のものです。
その浄興寺の本堂です。
重要文化財に指定されています。
その大きさに圧倒されました。
新潟県内に真宗寺院が多いことは前に書いた通りですが、12代法主教如の戦国末期から近世初頭に教勢を伸ばした時期に遡るものですお寺がほとんどです。
しかし中には、この浄興寺のように親鸞の時代に遡る歴史を持つ寺も少なくありません。
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