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信州/上田城 [新潟県外への旅]

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金曜日は会議のため上田市へ出張でした。
土曜日、帰りの時間を遅らせて市内散策です。
駅前に真田幸村の騎馬像があります。
真田氏が上田藩の城主であったのは元和8年(1622年)迄で、その後仙石氏、藤井松平氏の時代が続くのですが、やっぱり六文銭の真田の街なのですね。



DSCF0713_640.jpg上田城本丸の東虎口櫓門と北櫓、南櫓です。
堀の水面から櫓までの高さに戦国時代の実戦的なお城を感じます。
お堀の周囲には桜の木が植えられており、春の華やいだ景観が想像できます。
上田城は真田昌幸(幸村のお父さんです)が築き始め、完成間近の時に関ヶ原の役を迎えます。

 


 

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写真は本丸西櫓です。
上田城は千曲川の段丘上に築かれています。
段丘崖の上に石垣を積み上げ、地上からの高低差はかなりあります。
かつては、この下を千曲川の分流尼ヶ淵が流れていました。
そのため別名を尼ヶ淵城ともいいます。
真田昌幸は徳川軍を二度にわたり退けていますが、その2度目が関ヶ原の戦いです。
昌幸はこの未完成の城に寄って、秀忠軍を釘付けしました。




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本丸西櫓の石垣上から望む上田盆地の景色です。
関ヶ原の役後、上田城は徳川氏により破却され、真田信之は松代に移封となります。
その後の仙石氏が城の再建を行いますが、藩主病死のため工事は中断されます。
そのまま松平氏に引き継がれ、工事は再開されることなく明治に至ります。
そのため藩主の屋敷は本丸にはなく、現在の上田高校の位置にありました。

徳川時代の藩主、仙石氏や松平氏の影が薄く、市内には六文銭のシンボルマークだらけであり、未だに真田氏の城下町の雰囲気です。

ワイド版 街道をゆく〈9〉信州佐久平みち、潟のみちほか

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