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内野あたり(その2) [新潟のお酒]

DSCF2042__640.jpg内野散策のつづきです。
内野の見所は、写真のこれです。
川の立体交差です。
かつて「ナニコレ珍百景」(テレビ朝日系列)で放送されたこともありますので、是非とも見ておかなければならないスポットです。
街中で見かける旗も、「江戸時代最大級の」と期待をそそります。











DSCF1998__640.jpg現場到着です。
下を流れる川が新川、交差する鉄橋の上を流れる川が西川です。
なるほど川の立体交差です。
現代の技術水準からすれば見ての通りですが、立体交差の初代は江戸時代ということを考えると驚きではあります。

昔、洪水が起こる都度、信濃川は流路を変え、取り残された川が潟として平野のあちこちに点在していました。
この潟が新たな水害の原因となり、農民の苦痛の種になっていました。
この潟の悪水を川を開削し日本海へ流してしまおうという試みが新川の開削です。
地形的に新川を日本海へつなげるには西川を横断するしかありません。
そこで考えられたのは川の立体交差です。
西川の下に木製の「底樋」(そこひ)を埋設し、新川の流れを底樋を通して日本海につなぐという工事です。
工法としては今でいう「潜函工法」になるでしょうか。
土木工事には基本的に人海戦術しかなかった当時の人々にとってはそれこそ「最大級の工事」であったと思われます。

DSCF2030__640.jpg
「大水害の跡が宝光院にある」と雪月花の女将さんから教えていただきました。
本堂の柱に水位のあとが残っているそうですが、宝光院の門前にモニュメントがありました。
上のラインが明治29年の「横田切れ」といわれる水害時の水位です。
(写真の右手に祠の屋根が見えますので高さを想像してみてください。)
下のラインは昭和53年時の水害時の水位です。
横田切れの水害では、新潟市内(現在の中央区や東区)も水に浸かったそうです。
これを契機に大河津分水(信濃川を分流し、寺泊の日本海へ流す)の工事が始まったそうです。
新潟平野の歴史は信濃川の水との戦いの歴史でもあることを感じました。

ここから水田ごしに日本文理高校の建物が眺められます。
2009年の夏の甲子園の決勝戦を沸かせた高校です。





DSCF2049__640.jpg

内野で買い求めた酒です。
樋木酒造の「鶴の友」、塩川酒造の「越の関」、「日本海」は雪月花で提供されるブレンド酒の原料です。
「日本海」はかつて伊藤酒造が造っていましたが、伊藤酒造廃業のため、塩川酒造がブランド名を引き継いで作っているそうです。
内野にはあと「朗(ほがらか)」という銘柄のお酒もあったそうです。
やはり蔵元廃業のため今は飲むことができまません。
「白露」は内野近くの高野酒造のお酒です。


日本災害史

日本災害史

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 単行本

172ページから明治29年の「横田切れ」が紹介されています。


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