建仁寺の双龍 [新潟県外への旅]
知恩院から建仁寺へ、東山山麓をうろつきます。
知恩院の門前から、円山公園内を通り抜け、八坂神社の南門から清水方面へ向かいます。
高台寺前の通りは「ねねの道」と名付けられ観光道路と化していました。
高台寺といえば、私的には新撰組の分派、伊東甲子太郎の禁裏御陵衛士と油小路事件を思い浮かべます。
伊東甲子太郎の一派は、高台寺の塔頭月真院に屯所を設けていました。
八坂の五重塔近くの茶店で一休みの後、建仁寺へ向います。
八坂通りを西進しますと建仁寺の勅使門の前にでます。
建仁時は栄西が開創の京都最古の禅寺とされます。
この寺の俵屋宗達の風神雷神図屏風(国宝)は有名ですよね。
教科書でも見かける絵画です。
本物は京都国立博物館に寄託されていますので、ここで見られるのはレプリカです。
建仁寺の方丈です。
庭は禅寺らしい枯山水になっています。
建物は恵瓊が慶長4年に安芸の安国寺から移築したものです。
庫裏の大玄関から入り、方丈を一巡りして、法堂(はっとう)へ向います。
そして、法堂で思いがけないものを見てしまいました。
法堂に入ると、皆さん仰向いて天井を眺めているではありませんか。
つられて天井を眺めると、天井一面に巨大な双龍の天井画が描かれてます。
それもこのとぼけた顔の龍はどこかで見た覚えがあります。
しばらくして、思い出しました。
鎌倉の建長寺で見ました。
(2009年2月7日「雲龍図」の記事を参照してください。)
同じ作者の天井画でした。
鎌倉の画伯小泉淳作の作品です。
平成14年、北海道の小学校の体育館を借りて1年半の時間をかけて製作されたものだそうです。
鎌倉の建長寺の龍はこの弟に当たるようです。
その大きさに圧倒されます。
しかし、顔つきはなんとなくとぼけた感じがします。
建仁寺の北門を出るとそこは祇園の花見小路です。
花見小路を抜けて四条通りへ向いました。
途中で見かけたお茶屋さんの玄関です。
芸妓さんの源氏名が掲げられて、いかにもという雰囲気でした。
創建時の建仁寺の境内は、南北は四条あたりから五条あたりまで、東西は賀茂川から祇園社あたりまでだったと言いますから、かつてはここも建仁寺の境内だったのです。
哲学者の書いたちょっと変わった京都案内です。
月真院の奇人住職の話や、安井神社の鬼気迫る縁切り絵馬の話、異界への孔が潜む祇園の話などなど、思わず本の中に引き込まれます。
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