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蘆花恒春園 [新潟県外への旅]

DSCF6700_640.jpg東京へ出張でした。
予定より早く目的地に着いたので、近くを散歩しました。
蘆花公園の桃です。
雪の新潟を後に、一足早く春の気分を味わいました。

ここには、徳冨蘆花の住まいが残っています。
トルストイに傾倒した蘆花は、ロシアにトルストイを訪ねます。
その後、武蔵野の自然が広がる世田谷のこの地に居をさだめ、半農生活を営みます。

蘆花といえば「不如帰」が有名ですが、読んだことありますか。
私は読んだことありません。
以下は小説の冒頭部分です。

『上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。
年は十八九。
品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。
色白の細面、眉の間ややせまりて、頬のあたりの肉寒げなるが、疵といわば疵なれど、瘠形のすらりとしおらしき人品。
これや北風に一輪つよきを誇る梅花にあらず、また霞の春に蝴蝶と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕やみにほのかににおう月見草、と品定めもしつべき婦人。』

・・・・と、先を急ぎますので、これで読んだつもりになります。

(本文の訂正:写真の木について「芦花公園の梅」としていましたが、ブログを見た母から「枝ぶりからすると、あれは桃だね。」との指摘を受けましたので、梅→桃に訂正しました。植物学上は梅も、桃も、桜も、バラ科サクラ属です、私には梅と桃の違いがよくわかりません。)

DSCF6710_640.jpg蘆花の住居、梅花書屋です。
茅葺の屋根は和風ながら、外壁は洋風下見板貼り、窓はよろい戸のなんともちぐはぐな建物です。
これもトルストイの影響でしょうか。












DSCF6709_640.jpg秋水書院です。
前の梅花書屋と渡り廊下でつながっています。
この建物の建前の日が、大逆事件の幸徳秋水の死刑執行の日であったため、この名をつけたそうです。
蘆花は冤罪事件として、秋水の助命嘆願を行いますが、その願いはむなしく、死刑が執行されました。








DSCF6719_640.jpg蘆花は孟宗竹が好きだったようで、園内に立派な竹林があります。
蘆花の随筆「良夜」に、大竹薮として出てきます。

『良夜とは今宵ならむ。
今宵は陰暦七月十五夜なり。
月清く、風涼し。
夜業の筆を擱き、枝折戸開けて、
十五六歩邸内を行けば、栗の大木真黒に茂る辺に出でぬ。
其蔭に潜める井戸あり。
・・・・・・
更に行きて畑の中に佇む。
月は今彼方の大竹薮を離れて、清光溶々として上天下地を浸し、身は水中に立つの思あり。』

時間があまりなかったので、20分ほどの大急ぎの散策でした。

不如帰―小説 (岩波文庫 緑 15-1)

  • 作者: 徳冨 蘆花
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1938/07
  • メディア: 文庫

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