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北区・豊栄駅界隈(福島潟散策補遺) [新潟市内散策]

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福島潟は、JR白新線豊栄駅から歩いて30分程のところにあります。
距離にして約2km程度、たいした距離ではありませんが、暑い時期には結構こたえます。

しかし、途中両側を木立に囲まれた遊歩道が続き、日差しを遮ってくれます。
助かりますね。

江戸時代の街道に松や杉の並木が見られる理由がよくわかりました。
自動車で移動することが当たり前の現代ではなかなか実感できない感覚を味わいました。

 

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福島潟からの帰り道、暑さに辟易しながら、ふらふら歩いて駅に向かう途中のことです。

白壁に格子戸の涼しげな建物があるではありませんか。
見れば玄関脇に杉玉がぶら下がっています。

近づいてみれば、看板に「越後酒造場」、杉玉の下には、清酒甘雨と書いてあります。

しかし、残念ながらお休みでした。

ついでながら、この界隈には、この越後酒造場のほか、「伝衛門」の越後伝衛門、「越乃梅里」の小黒酒造があります。


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越後酒造場の近くの神社「開市神社」です。

越後酒造場が非情にもお休みだったので、ここの木陰で一休みです。
ついでに神社由来も確認してみました。

開市神社(カイチジンジャ)とは変わった名前です。
このあたり(葛塚と云います)の名主遠藤七郎左衛門を祭った神社です。

遠藤七郎左衛門はこのあたりの用水整備や開発に尽力した人物ですが、
宝暦期、葛塚への開市の請願を幕府に請願します。
近隣の新発田、水原は既存の商圏を護るために、激しく反対をします。
しかし、粘り強い運動の末、開市の許可をえたそうです。

それが神社の名前の由来になっているようです。


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神社境内にあった銅像です。
妙に頭が大きく、三頭身かと思うほどの印象深い像です。
台座には「甘雨遠藤七郎先生顕彰像」とありました。

遠藤家の当主は代々、遠藤七郎左衛門を名乗ったようです。
この像の主は、幕末期の七郎さんです。
政府軍に協力し各地を転戦したようで、維新後、贈位を受けています。

雅号を甘雨と号したようですが、先ほどの越後酒造場の杉玉の下にぶら下がっていた、
木札の「清酒甘雨」とは関連があるのでしょうか。

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徐々に駅に向かいます。

葛塚市の会場(?)の看板です。
さきほどの名主遠藤七郎左衛門請願による市です。
この日は開催されていませんでしたが、宝暦の時代から現在に至るまで続いています。
開催日には多くの露店が並ぶようです。

看板の「創業250年、最大250店舗、心意気日本一」の文字に感嘆符が2個づつついています。

このあと、駅近くの中華料理屋で、ビールで乾いた喉を潤し、五目焼そばを食べました。

旱天慈雨・・・ビールを飲むとき、この4文字が電光掲示板のように頭をよぎりました。






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