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新潟明和事件を歩く(1) [新潟市内散策]

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白山公園にある明和義人の顕彰碑です。
酒と女(芸妓)と食い物だけが興味の対象ではないことを証明したいので、歴史散策などしてみたいと思います。

歴史で学んだ明和事件は幕府による思想弾圧事件でしたが、新潟の明和騒動も明和事件とよばれます。
市内に散在する明和事件の跡を訪ねてみました。
題して「明和事件を歩く」です。

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当時の新潟は長岡藩領でありました。
長岡藩は財政逼迫を解消するために、新潟町に1500両の御用金を課しました。
新潟の町民が分担して負担することになりますが、新潟も不況で負担が困難でした。
涌井藤四郎の呼びかけで、40名の町民が集まり延納の相談を行います。
その会合が行われた場所が西堀通一番町の本浄寺、塔頭の西裕寺でした。

西裕寺は現存していませんが、写真は本浄寺の本堂です。
白山公園からは徒歩で数分の距離にあります。





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涌井藤四郎は東堀通9番町に店を構える反物商でした。
現在四階建のビルとなり、東堀通りに面する一角は仏壇屋さんになっています。

西裕寺での会合を奉行所に密告する者があり、涌井藤四郎は徒党を組んだ罪で奉行所に捕えられてしまいます。


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藤四郎の入牢を知った町民たちは日ごろの不満を爆発させました。
明和5年9月26日の深夜、本明寺の早鐘を合図に下町町民が手に手に鉞、斧などの獲物を持って日和山に集まります。

写真は現在の本明寺のたたずまいです。

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現在の日和山です。

日和山に集まった町民およそ600人、奉行所、町会所を目指して押し出しました。

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この時、正体不明の黒装束の数名が現れ、町民たちの指揮をとったといわれます。

「新潟明和事件を歩く(2)」へ続く・・・・・。



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