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湊町酒田を歩く1(鶴岡・酒田への旅) [新潟県外への旅]

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鶴岡から列車で羽越線をしばらく走ると酒田に着きます。
最上川河口近くに広がる酒田の町は、北前船が行き来する日本海航路の湊町として栄えました。

新潟の町が長岡藩領であったと同じように、酒田の町は庄内藩領でした。
酒田には庄内藩の奉行所が置かれましたが、36人衆と呼ばれる町年寄役が町政に関わっています。

写真は酒田のランドマーク、山居倉庫です。
明治26年に米穀倉庫として建てられ、倉庫を管理運営するのは、旧庄内藩酒井家から全農へと変わっていますが、今もなお現役の倉庫です。



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酒田港から積み出され、上方へ北前船で運ばれたものは、この山居倉庫の象徴されるように、米でした。
他に紅花も山形の特産物でした。
紅花は染料として使われましたが、化粧品(口紅)の材料として盛んに京方面に出荷されました。

このように米、紅花などの特産品を最上川の舟運を利用して、扱うことで大商人が出てきます。

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「鐙屋(あぶみ屋)」はそんな商人のひとりです。
現在も酒田の町にその建物が残っています。
回船問屋として、酒田に入港した北前船の船頭や、荷主をこの建物に泊め、積荷の商取引を仲介することで、手数料を得ていました。
手数料といいますがその利益は莫大なものであったようです。

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井原西鶴の「日本永代蔵」は、副題に「大福新長者教」とあるように商売成功のハウツー本みたいなものですが、
その巻の二に、この鐙屋が出てきます。

「舟人馬かた鐙屋の庭、酒田にかくれなき亭主ぶり、明くれば春なり、長持ちの蓋」
という表題で、三都の大商人に伍して紹介されています。

写真は、その鐙屋の台所風景です。

永代蔵には、「台所の有り様、目を覚ましける。米味噌出し入れの役人、焚き木の請取り、肴奉行、料理人、椀家具の部屋を預かり、菓子の捌き、煙草の役。茶の間の役、湯殿役・・」とその使用人の多さの記述があります。

新潟の住人としては新潟商人の紹介がないのが悔しい限りです。

新版 日本永代蔵 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

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  • 作者: 井原 西鶴
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: 文庫





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