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湊町酒田を歩く2(鶴岡・酒田への旅) [新潟県外への旅]

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鐙屋と同じ、本町通りに「本間家旧本邸」があります。
戦前までは日本最大の大地主と言われ、俗謡にも「酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵前雨が降る、本間様にはおよびもないが、せめてなりたや殿様に」と歌われた大富豪の屋敷です。

薬医門に続く白壁の塀は武家屋敷のようです。

本間家は佐渡本間氏の分家で、元禄のころ、「新潟屋」の屋号で酒田本町に店を構え、商いを始めます。
関西から古手、染物、金物などを仕入れ、商いを大きくしてゆきます。
やがて、酒田の36人衆の中に選ばれ、庄内藩への御用金を提供するような商人に成長しました。
このころから田畑を取得し、地主との一歩を踏み出します。
三代本間光丘はその財力をあてにした藩から請われて、庄内藩財政立て直しに携わります。
明和4年のことです。
ですから、商人ながら士分を持つ家柄となっています。

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門内の様子です。
この建物は、本間光丘が幕府の巡検視一行の本陣として建て、藩に献上、その後拝領し、本間家の本邸として使用してきたものだそうです。
薬医門に続く玄関から左手は武家屋敷造りとなっており、右手は商家造りとなているユニークな建物です。

幕府の巡検視の一行がこの建物を使用したのは、ほんの数日にすぎなかったのですから、初めから拝領を予定して、建築し、献上したのでしょう。
酒井の殿様としては、巡検視に新築の建物を宿として提供することで幕府に良い顔ができたわけです。

最初、門と白壁の塀をみて武家屋敷のようだと思ったのは、その通りで、このような経緯で建てられた武家屋敷造りの建物でした。
枝を張った松の木が歴史を感じさせます。

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酒田にも新潟と同じように、湊町の特徴である日和山があります。
現在は公園として整備されているようですが、残念ながら滞在時間の関係で行ってみることはできませんでした。
同様に湊町を特徴づけるものとして花街も存在します。
日吉町の一帯がその花街のようです。
ここは時間をやりくりして歩いてみました。

料亭相馬楼の前景です。
塀の色からして艶めかしいではありませんか。
相馬楼の前の石畳の通りを「舞娘坂」と言うそうです。

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「山王くらぶ」も料亭の一つです。
建物は国の登録有形文化財に指定されています。
二階に座敷には色とりどりの「つるし飾り」が展示されていました。
「傘福」というのだそうです。
かざりにはいろいろな形があり、その一つ一つに意味があり、願いを込めて作られたものは寺社へ寄進されたそうです。

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山王くらぶの座敷です。
障子の意匠に遊びこころがあります。
床の間を背に、庭を打ち眺めながらの、一献は優雅なものでしょう。
これなら、昼から思わず酒がすすみます。

商取引と接待とは不可分の関係があるのでしょうか。
ここ酒田も湊町として栄えた新潟と同じように、料亭文化が花開いた土地だったようです。

注:「山王くらぶ」は、酒田市が寄贈を受けて、酒田の料亭文化を伝える施設として公開されています。
現役の料亭ではありません。


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