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会津・喜多方紀行1(喜多方) [新潟県外への旅]

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晩秋の会津・喜多方へ旅をしました。
新潟を出発した列車は阿賀野川に沿って走ります。
広々とした平野から徐々に山間部に入り、川沿いの山肌を縫うようにして進んだ列車はやがて会津盆地の北端に出ます。
鉄路は喜多方を経て会津若松に向かいますが、まずは喜多方に途中下車しました。

喜多方は蔵とラーメンで知られた町です。
蔵がたくさんあり、それが現在も店舗や住居などとして使われていることで有名ですが、歴史的には酒・味噌などの醸造業に使われたこと、明治の大火で蔵の防火性能を人々が改めて認識したこと、蔵を建てることが男の甲斐性とされた風土であったことなどの理由があるそうです。

しかし、全国的に有名となり、観光客が訪れる土地となったのは昭和50年のNHKの「蔵住まいの町」の放送がきっかけでした。
ある意味では喜多方の発見者はNHKなのです。(正確にはNHKのディレクター須磨晃)

地元の人には既知の文化ではあるが、それ以外には知られていなかったものが地元以外の人に発見され、世間に認識されるのは歴史上、多々あることです。
コロンブスのアメリカ大陸発見のように。
こうして喜多方は発見され、そして観光地になったのです。

写真はお酒の蔵元です。
蔵造りの店舗になっています。
酒の熟成にモーツァルトの曲を聞かせるというユニークな酒屋さんです。

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蔵はその耐火性ゆえに、物の保管庫として機能します。
表通りから一歩入ったところで見かけた長屋のように連なる蔵です。
おそらく何処かの商店の商品保管庫として使用されたのでしょう。(いや現役かもしれませんが)
そして、温度が一定に保たれることから醸造業に使用されることにもなります。


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そして究極は住居として使用されます。
蔵座敷です。
写真は公開されている甲斐本家の蔵座敷です。
味噌・醤油の醸造業で財をなした家だそうです。

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その座敷の内部です。
大正6年に、新潟から棟梁を呼び寄せ、7年の歳月を費やして建てたものだというものです。
内装には東京木場から銘木を取り寄せ使用したといいます。

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漆喰で外部を塗り固めた蔵のみならず、外装を煉瓦造りとした蔵などもあり、その使われ方だけではなく、スタイルも多様性に富み、さすが蔵の町と言われるだけのことはあります。
写真は若喜商店の煉瓦蔵です。
やはり1階の内部は座敷となっていました。
明治38年の建造です。

蔵はわかったが、ラーメンはどうなったか。
それは、次回に・・・。




 

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