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2012年初詣続き(八事興正寺) [新潟県外への旅]

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地下鉄の八事駅を出て歩くことしばらくして、八事山興正寺の門前に到着しました。
興正寺を訪れるのは初めてです。
中門の奥に五重の塔が聳えます。

興正寺の創建は元禄元年(1688年)になります。
江戸期、八事山一帯は名古屋の人々の行楽地であり、ここをたずねることを「山行き」といったそうです。
尾張名所図会には遠くに帆掛け舟が見える眺望の中で、花見に興ずる人々の絵があります。

興正寺は、尾張藩主徳川光友の帰依を受けて広大な敷地を与えられ、数多くの堂塔が営まれますが、その理由については言い伝えがあります。

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中門です。
興正寺は、ここ西山と東山に寺域が別れ、東山は女人禁制の修行の場となっていました。
この中門は、かつては東山と西山の境にあり、女人門と呼ばれ結界の役目を負っていました。
興正寺を描く尾張名所図会には、「女人堂是ヨリ東女人禁制」と書かれた建物が見られます。
後に西山の中門として移設されたものです。
いまは平気で男女ともに門を潜り抜けています。

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中門を抜けると、目の前に五重の塔が聳えます。
中門、五重の塔、西山本堂と一直線の伽藍配置になっています。
文化5年(1808年)建立の塔で、高さは30m、木造の五重塔としては東海三県でただひとつの塔だそうで、国の重要文化財に指定されています。

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西山本堂です。
寛延3年(1750年)の建立です。
こじんまりとした本堂で、威圧感はありません。
列にならび、お参りをしました。

ところで、最初に書きました言い伝えについて、説明します。
この興正寺は飯田街道に面して立地しています。
飯田街道は名古屋から岡崎を最短距離で結ぶ街道です。
名古屋城が落城した際に、岡崎の手前の砦としての役割をさせるために、尾張藩はこの興正寺に広大な敷地を与え保護したと言うのです。
八事山という丘陵の地形が軍事拠点として適当であったのでしょう。
ですから寺には、名古屋城からここの大日堂まで地下道でつながっていると言い伝えがあります。
大仏の台座の礎石の中央がはめ石になっているのはその入り口である証拠なのだそうです。

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飯田街道に面する、興正寺東山門です。
名古屋城から移築された頑丈な戦闘用門がこの寺の性格を物語っています。

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名古屋の菓子司両口屋是清のお菓子「おときき山」です。
音聞山は八事の山々の中でも景勝の地として知られた山です。
むかし鳴海潟の海鳴りの音が聞こえたので音聞山と名づけられたそうです。
尾張名所図会には、「遠く熱田の海を望める」として音聞山が紹介されています。

写真はその音聞山の名前を冠したお菓子です。
こんなお菓子があるとは知りませんでした、どうも新作の菓子のようです。


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