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金津油田を歩く [新潟市内散策]

DSCF5356_640.jpg中野邸がある新津丘陵には、かつて新津油田がありました。
新潟県が石油王国と呼ばれていた当時、県内でも有数の油田地帯でした。

写真は中野邸の周囲に広がる金津油田の景観です。
数多くの油井が立ち並び、集油タンクなどが散在します。
但しこれは現在の姿ではなく、大正期の金津油田の風景を再現した模型ですが。

かつての油田の跡をたずねて中野邸の周りを散策してみました。

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もみじ狩り [新潟市内散策]

DSCF5243_640.jpgさくらは「花見」と言うのに、紅葉はどうして紅葉「狩り」というのでしょうか。
秋葉区の紅葉の名所、「もみじ園」に行ってきました。
新津丘陵に広がる庭園は紅葉の真っ盛りでした。

もみじ園、12000坪の敷地に130種、2000本のもみじがあると言われます。
しかも色づきのよいもみじを京都、四国から集めたのだそうです。
誰がそんなことしたのだと興味も湧きます。

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あぶさん [新潟市内散策]

DSCF5221_640.jpg新潟市の古町通5番町は「まんがストリート」と呼ばれています。
水島新司描くところの漫画のキャラクター達の銅像が通りの両サイドに並びます。

写真はドカベンの山田太郎です。

水島新司の作品には「野球狂の詩」、「ドカベン」などありますが、私の一番好きな漫画は「あぶさん」です。



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新潟市旭町界隈 [新潟市内散策]

DSCF5175_640.jpg新潟の東中通りから新潟大学病院方向に向って坂を登る途中に、石垣に白壁の重厚な造りのお屋敷があります。
20数年前新潟に勤務した当時は会社がこの近くにあり、この前を何度も行き来したことがありますが、門は閉ざされたままでした。
当時は「いったい誰のお屋敷だろうか」程度の関心しかありませんでした。

昭和の石油王と言われた新津恒吉の屋敷だというではありませんか。
平成4年から一般公開されているというので見学にいってきました。

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新潟島の先端はどうなっているか? [新潟市内散策]

DSCF5166_640.jpg信濃川と関屋分水、そして日本海で囲まれた市域は新潟島と呼ばれています。
新潟島は信濃川の河口へ向かって徐々に狭くなって行き、ついには突堤となり、その先端には赤い灯台があります。
突堤と灯台はともかく、島の地面の先端には何があるのかを確認することが今日の散策の目的なのです。







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マリリン・モンロー・ノー・リターン(2) [新潟市内散策]

DSCF5003_640.jpg伊藤家邸宅から近くの大栄寺まで足をのばしました。
大栄寺は寛永8年(1632年)開山の曹洞宗の古刹です。

野坂の小説には「栄隆寺」という名で出てきます。
「栄隆寺の山門をくぐると、さすがに修行僧置く寺だけに、町中の寺と比較にならぬ、本堂藁ぶきの大屋根も、その左右にのびる建物の質素ながら、障子の色濡れ縁の磨き込まれた按配、遠目からも行き届いた手入れ心くばりがわかり、庭木の雪囲いも雅やかな印象。」と紹介されています。

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マリリン・モンロー・ノー・リターン(1) [新潟市内散策]

DSCF5093_640.jpg新潟市江南区沢海の北方文化博物館は、かつて越後随一の大地主といわれた伊藤家の屋敷です。

野坂昭如の私小説「マリリン・モンロー・ノー・リターン」の冒頭部分はこの屋敷の描写で始まります。
「農地解放までは、バスで二時間の距離にあるN市へ、他人の土地を踏まずに行けたという大地主、しかも一毛作とはいえ日本屈指の米どころだから、屋敷の構えも豪壮なもので、まず二丁四方はある縄張りに、近くの川から水を引いて濠をめぐらせ、瓦いただいた土塀も重厚なら、年中あかずの正門は二層になっていて、まずは城郭まがい。」

写真はその正門です、門の向こうの観光客と比較するとその巨大さが分かります。

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ウオーキング [新潟市内散策]

DSCF3964_640.jpg健康維持のため、朝のウオーキングを始めました。
早朝の信濃川河畔を歩いています。

信濃川も日中とは異なった表情を見せています。
行き交う船が立てる波もなく、川面が湖の水面のように穏やかです。








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2010新潟の夏 [新潟市内散策]

DSCF2466_640.jpg8月の初め、白山神社の境内で朝顔まつりが開かれていました。
大輪朝顔という品種です。
花の大きさを競うらしいのですが、花びらについた水滴にしばし暑さを忘れました。
この時期、下町(しもまち)の家々の軒先に朝顔の花をよく見かけます。






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夜のミナトピア [新潟市内散策]

DSCF5634_640.jpg今年の夏は暑いので、日中に出かけるのが徐々に億劫になってきています。
以下は、イベントチェックの経過。
21日の万代橋誕生際11時から18時、時間的に暑そうなのでパス。
22日ビーチライフIN新潟10時から16時、日陰もなさそうで、パスです。
みなと・しもまち・川祭り。何々、18時から・・・これはいいかも。

陽が落ちると少しはすごし易くなってきています。
みなと・しもまち・川祭りの会場、ミナトピアです。
川風に柳の葉が揺れています。
博物館がライトアップされています。

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夏の別邸(その2) [新潟市内散策]

DSCF2240_640.jpg別邸の庭は、4代斎藤喜十郎が大正6年から9年にかけて造ったものです。
当時の費用で25万円、東京の庭師松本幾次郎がその造営にあたったとされています。
庭石の多くは江戸の大名屋敷にあった全国の名石を運んだものと言われています。
江戸の浩養園からも灯篭、庭石などを運んだそうで、池に掛る橋の脇に、「浩養園、お成り橋」と刻んだ石造物もありました。

庭は、池を巡る回遊式庭園で、主屋から池を隔てて、丘を登ると頂上に茶亭があります。
茶亭へ向かう途中の待合からの眺めです。
十三重の層塔は浩養園からのものでしょうか。
竹林の向こうに主屋が望めます。滝の音が近くに聞こえ、涼風が吹き渡ります。

浩養園:隅田川河畔にある老中水野忠成の別荘の庭、のち、佐竹邸、堀田邸となり、明治後札幌麦酒が買い取り、敷地の一部をビール工場とし、庭園をビアガーデンとして利用。現在はアサヒビール本社。私的には、浩養園=ビアガーデンのイメージしかありませんが。

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夏の別邸 [新潟市内散策]

DSCF2242_640.jpg新潟も昨日、梅雨明けをしました。
金曜日から暑い日が続いています。
涼を求めて夏の別邸へ出かけました。
別邸といっても、私の別邸ではありません。
(言うまでもないか。)
新潟三大財閥の一つ斎藤家の別邸です。
斎藤家の住宅は東堀通7番町にあったそうですが、ここ西大畑に夏の別邸がありました。
今は市が買い取り、一般公開しています。
斎藤家別邸の隣りは料亭の行形亭になっており、前の通りは白壁通りと呼ばれています。
白壁通りに面した門を潜り、玄関へ向かうと滝の音が聞こえてきました。


新潟三大財閥:斎藤家・鍵富家・白勢家を新潟三大財閥と言います。6月12日の記事で紹介した小沢家はそれに次ぐ規模の豪商と言われています。

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蓮の花 [新潟市内散策]

DSCF2061_640.jpg骨董屋巡りしながら、白山神社まで出かけたら、蓮の花が咲いていました。
蓮の花は、朝咲いて、お昼には閉じるそうです。
蓮は「泥より出でて、泥に染まらず」との成句にあるように清らかさの象徴とされています。
思わずカメラを向けたくなる、凛とした美しさが感じられる姿ではあります。








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上大川前通り [新潟市内散策]

DSCF1832_640.jpg下町散策をまだ続けています。
上大川前通りや本町通りは、江戸時代、回船問屋などが並び、湊町新潟の経済の中心地でした。
現在も当時の面影を残す商家や町屋を見る事ができます。
6月12日の記事で紹介しました小澤家住宅もその一つです。
写真は上大川前通りで見かけた建物です。
町屋は間口より奥行きが長い構造をとっていることが多いようです。



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願随寺 [新潟市内散策]

DSCF1771_640.jpg新潟下町散策の続きです。
下町と書いて「しもまち」と呼びます。
「したまち」ではありません。

写真は「みなとぴあ」の堀を模した水路です。
かつては新潟の町を縦横に堀が走り、柳の木が水面に映る景観がいたるところで見られました。





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小澤家住宅 [新潟市内散策]

DSCF1706_640.jpg新潟の下町あたりを散策をしました。
新潟の街は、南の白山神社の近くを上町と呼び、信濃川の下流域を下町といいます。
新潟大火の影響も受けず、古い建物が残っていたりします。
そんな建物のひとつである、上大川前通12番町の小澤家住宅は回船問屋だった建物です。新潟市の町屋の典型として市指定文化財となっている建物です。
今日の下町散歩の目当ての一つでしたが、残念なことに整備工事中で見る事ができませんでした。
今年の12月には工事が終わり、来年の1月から公開されるそうです。

 

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北越戊辰戦争 [新潟市内散策]

DSCF1620_640.jpg新潟市は戊辰戦争の戦場になりました。
現在、市内のその戦跡を見つける事は困難ですが、戊辰戦跡めぐりをして見ました。
慶応4年1月3日の鳥羽伏見の戦いに始まった戊辰戦争は、4月の江戸無血開城を経て、5月には越後へと戦場を移します。
北越戊辰戦争の主戦場は長岡城をめぐる攻防でしたが、5月19日の長岡城落城後、戦線は膠着状態に陥ります。
そのころ新潟は奥羽列藩同盟諸藩の武器弾薬の補給拠点となっていました。
エドワード・スネルが横浜から大量の武器弾薬を船で搬送し、勝楽寺を拠点に東北諸藩とさかんに取引を行うのはこの頃のことです。(2009年5月4日寺町散策(その2)の記事を参照してください。)
政府軍は戦線膠着状況の打開のため、新潟攻略を決意します。
写真は新潟守備の拠点となった奉行所の跡です。奉行所は西堀通りと交差する柾谷小路の突き当たり、今の三越とNEXT21のあたりにありました。

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上古町から白山公園へ [新潟市内散策]

DSCF1601_640.jpgチューリップは終わってしまいましたが、町のあちこちに躑躅の花が咲いています。
花を探しに白山公園まで散歩です。

途中、上古町(かみふるまち)の通りで見かけた猫です。
カメラを向けても、動じません。
惚れ惚れするような凛々しい顔です。
同じ生き物として、これくらい堂々としていたいですね。





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やすらぎ堤の桜 [新潟市内散策]

DSCF1216_640.jpg今年は天候が不順で桜がなかなか咲きませんでしたが、4月も下旬となった今が盛りです。
今日は、信濃川河畔の桜を見ながらの散歩です。
先週は寒さに震えながらの花見でしたが、ほど良い暖かさです。







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北前船 [新潟市内散策]

DSCF4771_640.jpg新潟は江戸期、西回り航路の交易拠点として栄えた湊町です。
日本海側の海を行き来したのは、北前船です。
その1/3復元模型が県立自然科学館に展示されています。
巨大な一つ帆が特徴です。
いかにも安定が悪そうな構造です。





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