金津油田を歩く [新潟市内散策]
中野邸がある新津丘陵には、かつて新津油田がありました。
新潟県が石油王国と呼ばれていた当時、県内でも有数の油田地帯でした。
写真は中野邸の周囲に広がる金津油田の景観です。
数多くの油井が立ち並び、集油タンクなどが散在します。
但しこれは現在の姿ではなく、大正期の金津油田の風景を再現した模型ですが。
かつての油田の跡をたずねて中野邸の周りを散策してみました。
新潟県が石油王国と呼ばれていた当時、県内でも有数の油田地帯でした。
写真は中野邸の周囲に広がる金津油田の景観です。
数多くの油井が立ち並び、集油タンクなどが散在します。
但しこれは現在の姿ではなく、大正期の金津油田の風景を再現した模型ですが。
かつての油田の跡をたずねて中野邸の周りを散策してみました。
もみじ狩り [新潟市内散策]
あぶさん [新潟市内散策]
新潟市旭町界隈 [新潟市内散策]
新潟島の先端はどうなっているか? [新潟市内散策]
マリリン・モンロー・ノー・リターン(2) [新潟市内散策]
マリリン・モンロー・ノー・リターン(1) [新潟市内散策]
2010新潟の夏 [新潟市内散策]
夜のミナトピア [新潟市内散策]
夏の別邸(その2) [新潟市内散策]
別邸の庭は、4代斎藤喜十郎が大正6年から9年にかけて造ったものです。
当時の費用で25万円、東京の庭師松本幾次郎がその造営にあたったとされています。
庭石の多くは江戸の大名屋敷にあった全国の名石を運んだものと言われています。
江戸の浩養園からも灯篭、庭石などを運んだそうで、池に掛る橋の脇に、「浩養園、お成り橋」と刻んだ石造物もありました。
庭は、池を巡る回遊式庭園で、主屋から池を隔てて、丘を登ると頂上に茶亭があります。
茶亭へ向かう途中の待合からの眺めです。
十三重の層塔は浩養園からのものでしょうか。
竹林の向こうに主屋が望めます。滝の音が近くに聞こえ、涼風が吹き渡ります。
浩養園:隅田川河畔にある老中水野忠成の別荘の庭、のち、佐竹邸、堀田邸となり、明治後札幌麦酒が買い取り、敷地の一部をビール工場とし、庭園をビアガーデンとして利用。現在はアサヒビール本社。私的には、浩養園=ビアガーデンのイメージしかありませんが。
当時の費用で25万円、東京の庭師松本幾次郎がその造営にあたったとされています。
庭石の多くは江戸の大名屋敷にあった全国の名石を運んだものと言われています。
江戸の浩養園からも灯篭、庭石などを運んだそうで、池に掛る橋の脇に、「浩養園、お成り橋」と刻んだ石造物もありました。
庭は、池を巡る回遊式庭園で、主屋から池を隔てて、丘を登ると頂上に茶亭があります。
茶亭へ向かう途中の待合からの眺めです。
十三重の層塔は浩養園からのものでしょうか。
竹林の向こうに主屋が望めます。滝の音が近くに聞こえ、涼風が吹き渡ります。
浩養園:隅田川河畔にある老中水野忠成の別荘の庭、のち、佐竹邸、堀田邸となり、明治後札幌麦酒が買い取り、敷地の一部をビール工場とし、庭園をビアガーデンとして利用。現在はアサヒビール本社。私的には、浩養園=ビアガーデンのイメージしかありませんが。
夏の別邸 [新潟市内散策]
蓮の花 [新潟市内散策]
上大川前通り [新潟市内散策]
願随寺 [新潟市内散策]
小澤家住宅 [新潟市内散策]
北越戊辰戦争 [新潟市内散策]
新潟市は戊辰戦争の戦場になりました。
現在、市内のその戦跡を見つける事は困難ですが、戊辰戦跡めぐりをして見ました。
慶応4年1月3日の鳥羽伏見の戦いに始まった戊辰戦争は、4月の江戸無血開城を経て、5月には越後へと戦場を移します。
北越戊辰戦争の主戦場は長岡城をめぐる攻防でしたが、5月19日の長岡城落城後、戦線は膠着状態に陥ります。
そのころ新潟は奥羽列藩同盟諸藩の武器弾薬の補給拠点となっていました。
エドワード・スネルが横浜から大量の武器弾薬を船で搬送し、勝楽寺を拠点に東北諸藩とさかんに取引を行うのはこの頃のことです。(2009年5月4日寺町散策(その2)の記事を参照してください。)
政府軍は戦線膠着状況の打開のため、新潟攻略を決意します。
写真は新潟守備の拠点となった奉行所の跡です。奉行所は西堀通りと交差する柾谷小路の突き当たり、今の三越とNEXT21のあたりにありました。