建仁寺の双龍 [新潟県外への旅]
知恩院から建仁寺へ、東山山麓をうろつきます。
知恩院の門前から、円山公園内を通り抜け、八坂神社の南門から清水方面へ向かいます。
高台寺前の通りは「ねねの道」と名付けられ観光道路と化していました。
高台寺といえば、私的には新撰組の分派、伊東甲子太郎の禁裏御陵衛士と油小路事件を思い浮かべます。
伊東甲子太郎の一派は、高台寺の塔頭月真院に屯所を設けていました。
八坂の五重塔近くの茶店で一休みの後、建仁寺へ向います。
八坂通りを西進しますと建仁寺の勅使門の前にでます。
建仁時は栄西が開創の京都最古の禅寺とされます。
この寺の俵屋宗達の風神雷神図屏風(国宝)は有名ですよね。
教科書でも見かける絵画です。
本物は京都国立博物館に寄託されていますので、ここで見られるのはレプリカです。
知恩院の鐘 [新潟県外への旅]
永観堂から知恩院へ向かいました。
南禅寺の三門前から西へ向かい瓢亭のある通りを道なりに進むと三条通に出ます。
さらに三条通と交差する神宮道を南進します。
骨董屋などの店先を覗き込みながら歩いて行きますと、道は徐々に上り坂になります。
東山から突出した丘陵部に青蓮院があります。
その先が知恩院です。
写真は途中の青蓮院の佇まいです。
知恩院はわが家の宗旨の総本山ですので、敬意を表して訪問してみる気になりました。
知恩院といえば、除夜の鐘ですね。
大晦日のテレビ中継を見た事があるでしょう。
撞木につながれた子綱をたくさんの僧侶が引き、親綱を持った一人の僧侶が仰向けになって鐘に撞木をぶつけている、あれです。
梵鐘の高さ3.3m、口径2.8m、重量70トン、寛永13年の鋳造の鐘で、日本三大梵鐘のひとつだそうです。
まだ新幹線も無い時代に、この鐘の音をわざわざ聞きに行った作家がいます。
『除夜の鐘を京都に聞きに行って、元日のはとで帰って来た。
京都の鐘のうちでは、やはり知恩院の鐘だということで、知恩院の鐘楼の近くに席を取ってもらった。(中略)知恩院の鐘は近すぎることを感じさせないような、さびたひびきだった。』(川端康成『京都行・湯澤行』)
秋はもみじの永観堂 [新潟県外への旅]
南禅寺から北へ歩いて5分ほどの山麓に堂塔が連なっています。
古来、紅葉の名所として知られ、古今和歌集にも藤原関雄の「おく山の岩垣もみぢ散りぬべし照る日の光見る時なくて」という歌が収録されています。
今は紅葉の盛り、観光客でいっぱいでした。
ここは、本尊の「みかえり阿弥陀」でも、また与謝野晶子・鉄幹の結ばれる前の訪問地としても知られています。
瀬戸内寂聴は「永観堂という語から、私が直ちに連想するのは、与謝野晶子である。人は紅葉を連想し、また別の人は見返りの阿弥陀仏を連想するのであろう。」と紹介しています。
あなたはどれですか。私の場合は「みかえり阿弥陀」です。
かつて写真でこの阿弥陀仏を見て、いたく感動した覚えがあります。
郡上八幡城 [新潟県外への旅]
町のシンボル、郡上八幡城です。
司馬遼太郎の「街道をゆく」では随分と褒めて紹介されています。
『日本の山城の典型のひとつは、長良川上流の郡上八幡城である。
そう信じ、この山の上には日本でいちばん美しい山城があるはずだと思いつつ登ったのは十五年ほど前で、春のはじめだったために雪が深く、道に難渋した。
頂上の天守台へのぼると、高塀に額縁された狭い空間にびっしり雪がつもり、その雪の上に四層の可愛らしい天守閣と隅櫓がそこに置かれているように立っていて、粉雪という動くものを透かして見ているせいか、悲しくなるほどに美しかった。』
(郡上・白川街道と越中諸道)
摩免戸の戦い [新潟県外への旅]
真清田神社(ますみだじんじゃ) [新潟県外への旅]
信州/北国街道(上田市) [新潟県外への旅]
信州/上田城 [新潟県外への旅]
金曜日は会議のため上田市へ出張でした。
土曜日、帰りの時間を遅らせて市内散策です。
駅前に真田幸村の騎馬像があります。
真田氏が上田藩の城主であったのは元和8年(1622年)迄で、その後仙石氏、藤井松平氏の時代が続くのですが、やっぱり六文銭の真田の街なのですね。