2011新潟まつり [イベント]
今年は仕事が忙しく、気が付けば民謡流しの音頭が職場の窓の外に流れていました。
新潟まつりは初日(金曜日の夜)の民謡流しから始まります。
カメラを持って現場へ向かいます。
なんとか、古町の芸妓さんの浴衣姿が今年も見られました。
2011年7月30日
水に浮かぶ都市・・・・という景観ですね。
7月27日から断続的に降り続く雨で、今日の朝から、信濃川支流の河川堤防の決壊報道が続いています。
そして信濃川最下流から上流の萬代橋を望む風景です。
新潟市の万代周辺も浸水損害こそ出ていませんが、水に浮かんでいるような眺めになってしまいました。
湯あがり娘 [新潟の食べ物]
「湯あがり娘」・・・なんとなく色っぽい名前ですが、「枝豆」の名前です。
新潟の枝豆といえば、黒崎茶豆が有名です.
6月の下旬から7月初めまでは「早生」、そして今の時期が「湯あがり娘」、「茶豆」は8月に入ってから、9月になると「さかな豆」が出回ります。
枝豆に、こんなにいろいろな品種があるとは知りませんでした。
「いうなよ」というのもあるそうです。
あまりおいしいので、人に「言うなよ」というんだそうです。
夏の夜、仕事が終わって、湯上りに枝豆をつまみながらの、一杯は、「おいしい」ですよね。
・・・というわけで、茹でたての「湯あがり娘」です。
笹川流れの塩で味付けしました。
お酒は越後伝衛門の純米吟醸酒です。
北区・豊栄駅界隈(福島潟散策補遺) [新潟市内散策]
福島潟は、JR白新線豊栄駅から歩いて30分程のところにあります。
距離にして約2km程度、たいした距離ではありませんが、暑い時期には結構こたえます。
しかし、途中両側を木立に囲まれた遊歩道が続き、日差しを遮ってくれます。
助かりますね。
江戸時代の街道に松や杉の並木が見られる理由がよくわかりました。
自動車で移動することが当たり前の現代ではなかなか実感できない感覚を味わいました。
オニバス(福島潟散策2) [新潟市内散策]
福島潟はオニバスの北限の自生地でもあります。
オニバスを探して、湖畔を歩きます。
途中、たくさんの蓮の花が咲いているのを見つけました。
蓮の向こうに見えるのが、ビュー福島潟です。
福島潟の自然と歴史を紹介する施設です。
写真の蓮は普通の蓮です、オニバスではありません。・・・・・念のため、申し添えます。
越後平野の原風景をもとめて(福島潟散策1) [新潟市内散策]
亀田郷を歩き、新潟市歴史博物館の展示物を見て、かつての新潟平野の風景は、今私たちが見ているものとは異なっていたと思うようになりました。
(亀田郷については2011年5月7日、新潟市歴史博物館の展示物は5月29日の「水が引かない田」の記事を参照してください。)
そこで越後平野の原風景を求めて北区にある福島潟を訪ねてみました。
潟湖の湖畔に立つビュー福島潟の屋上からの眺めです。
福島潟は環境省の「日本の重要湿地500」にも選ばれているということですが、これでわかります。
新潟平野は湿地の広がる平野だったのですね。
鰻の寝床(小澤家住宅その3) [新潟市内散策]
鶴の遊ぶ庭園から母屋を望みます。
前方の屋根の一部に切れ込みがある建物が母屋です。
手前左手の藤棚のある建物は、隣接する敷地を買い増して、増築した「新座敷」と呼ばれる建物です。
屋根の切れ込み部分はかつての「坪庭」です。
坪庭は、間口が狭く、奥行きが深い町屋建築の採光と通風の工夫です。
京都の町屋建築にも見ることができますね。
かつて秀吉が京都を支配した時代、町屋の間口の広さに対して地子銭(税金)を課しました。
それが間口三間(6メートル)という、京都の町屋の表構えを決定づけたといわれます。
(京町屋づくり千年の知恵:山本茂・祥伝社)
間口を狭く、奥行きを深くすることが節税対策として行われたわけですね。
間口の広さに対して課税することが、近世を通じて全国的に行われたようです。
新潟の町屋も奥行きが深く、鰻の寝床となっています。
ただし間口は京都よりは広く、4間の間口となっています。
京都よりは税金が安かったのでしょうか。
お昼近くとなって、暑くなってきました。
日差しを避けて、屋内に移動します。
再び小澤家住宅を訪ねて(その1) [新潟市内散策]
昨年6月に下町散策で訪れた時は、修復整備中で見ることができませんでした。
整備工事が終わり、先週から公開されていると聞きましたので、再び小澤家を訪問しました。
湊町新潟で回船問屋など手広く行い、新潟三大財閥の斉藤家などに次ぐ豪商と言われた小澤商店の住宅です。
その建物が新潟市に寄贈され保存公開されているのです。
入口には青地に、〇に小の字を染め抜いた暖簾が、翻っています。
柱の先まで腕木を延ばし、桁を長くして、軒先深く造る構造を「せがい造り」と云い、新潟の町屋建築の特徴の一つです。
軒先を丈夫にして積雪に耐える構造だそうです。
道路に庇を出し、その上に二階部分を張り出して造ることを「張り出し二階」といい、これも新潟の町屋建築の特徴です。
豪農の屋敷 [新潟のお酒]
土曜日、部下の結婚式に招待されて行ってきました。
会場は阿賀野市にある五十嵐邸ガーデンです。
パンフレットの謳い文句は、「まばゆい緑に抱かれた明治・大正の邸宅、豪農の屋敷。・・・
邸宅内は、和の建築美とオリエンタルな調度品が・・・・ここには、新潟の原点があり、」・・・
となっていました。
新潟駅から送迎バスで約45分、バスから降りると、屋敷の門の前です。
蒲原まつり2011 [イベント]
6月30日から7月2日までは蒲原まつりです。
去年に引き続きまた行ってしまいました。
そして神社境内に向かう人ごみに、ましたしても突っ込んでしまいました。
こうなるのは判っていたのに、同じ事を繰り返します。
越後味噌 [新潟の食べ物]
新潟市の沼垂は、発酵食品の町と言われます。
越後平野の穀倉地帯を背後に控え、北前船による日本海航路を輸送手段に持ったことが醸造業が盛んになった要因でしょうか。
まずお酒では、以前にこのブログで紹介をした「越の司」の今代司酒造、そして漫画の「おいしんぼ」でも紹介されたこともある越の華酒造がこの地にあります。
そしてお味噌屋さんです。
写真は味噌の蔵元、堀川醸造です。
他に発酵食品としては納豆屋さんもあります。
やかた竿燈(まき夏まつり2) [イベント]
巻の夏祭りの締めくくりは、やかた竿燈です。
竿燈と言えば、秋田の竿燈が有名ですが、幕末期の新潟の風俗を描いた絵巻物にも竿燈が描かれています。
竿燈は秋田だけのものではなかったようです。
もっとも、巻のやかた竿燈は今年が35回目ということですから、歴史があるというわけではないようです。
秋田の竿燈とは趣(おもむき)が違います。
昔の川越えに使われていたような蓮台の上に、竿燈が立てられています。
蓮台の上には、竿燈とともに人が乗っています。
大勢の担ぎ手に担がれて、竿燈が登場します。
(注)絵巻物:初代新潟奉行川村修就が当時の新潟の風俗を描かせた絵巻物、「蜑(あま)の手振り」の夏まつりの風景に描かれています。
まき夏まつり(その1) [イベント]
6月17日から19日までは、新潟市内でいちばん早い夏祭りである巻の夏祭りでした。
6月の末には蒲原まつりがあり、その後、あちこちでお祭りが続きます。
まき夏まつりでは、巻神社の祭礼儀式にあわせて様々な催しものがあります。
祭りのクライマックスは最終日の「やかた竿灯」ですが、それは後ほど紹介したいと思います。
まずは、巻神社へ参詣です。
社殿は、安政2年(1855年)の建築です。
風格のある建築物ですね。
神社の起源はもっと古く、上杉謙信の崇敬を受けて、上杉家の祈願社となっているそうです。
へたのたったイチゴ [新潟の食べ物]
新潟のイチゴ、越後姫です。
新潟に着任した当初、食べたところ甘くて美味かった、その大粒な姿とともに感激したものです。
しかし、その後あたりはずれもあり、やっぱり普通のイチゴかな、との印象が強くなっていました。
スーパーの売り場で、おじさんとおばさんの会話で知りました。
イチゴの選び方を、
おじさん「イチゴ買おうか」
おばさん「イチゴはへたが立って、三角でないと甘くないから、これはダメ」
たなべのかりん糖 [新潟の食べ物]
新潟県加茂市のお菓子屋さんがつくるかりん糖です。
加茂市は北陸の小京都と言われる町です。
最近、このかりん糖にハマッテいます。
お店の紹介文章に「かりん糖一筋80年。田辺菓子舗は昭和2年の創業以来かりんとうだけを作ってまいりました。」と宣言しているように、強烈な存在感があります。
かりんとうだけで、一家の生計が成り立っているのは冷静に考えると、驚異的なことに思えます。
白根大凧合戦(その3) [新潟市内散策]
大凧よりは小振りながら、六角形の凧も空に舞います。
巻凧と呼ぶのだそうです。
これでも、畳6帖分の大きさです。
学生時代の下宿の間取りを思い出します。
4畳半を我が砦と思い過ごしましたが、吹けば飛ぶような広さだったのですね。
凧合戦の歴史に触れなければいけませんでしたね。
白根大凧合戦(その1) [新潟市内散策]
6月2日から5日まで、新潟市南区の白根で、大凧合戦をやっているというので、見物に行ってきました。
新潟駅からバスで約60分、国道8号線沿いのバス停で下車し、町並みを抜けて会場へ向かいます。
会場は、中ノ口川です。
写真は、会場へ向かう途中、見かけたポスターです。
いま、まさに橋の欄干の上から、中ノ口川に飛び込もうとする子供達です。
私の故郷郡上八幡でも、夏になると町中を流れる吉田川に架かる新橋の欄干から、川に飛び込む子供達の姿をみることができます。
中ノ口川は、直江兼継が流路を整備したと伝えられる信濃川の支流です。
三条市で信濃川から分流し、新潟市の黒埼付近でまた信濃川と合流する川です。
周辺の農地を潤す用水として利用されています。
流域の住民にとっては生活に根付いた川であることを、この写真で知ることができます。